空想に寄り添い、守るものも。あります。
煙草。
健康は大切ですが、心の時間を悪ともなって守るのでしょう。
この世の中で、よくなって行きたい気持ち、そして個人を守るものも
私は、その支えから卒業しなければいけません。それは、自らの言論でそして
行い行動として甘えてはいられないのです。心そして体の健康は、勝ち取るものでしょ
うか。よくわかりません。心の健やかさは育みであるがゆえに、何かにより
力強く守られる事がなければ、皆が傷つき傷つけ合って、自らを悪としてでも
守るのでしょう。自立との関係性の中で、見つめなければならない事としてある
自らの言論で力として行くためにも、立ち向かわなければいけない事だったのかも知
れません。けれど、それはわかり合うためであったり、学びのためであったり
さまざまだと思います。真実を育むためには、何が必要でしょうか。
今のままの流れですと、辱めを受けるだけで、弱い存在であるのかも知れないです。
けれど、自らの心澄まし、自分を大切にする中で、心砕きあえる真の力があるかもし
れません。いえ、むしろその事は願われているようにも感じます。