今日のオレは、この荒野で幸福や不幸について考えた気がするけど
言葉というのは本源的に、いかなる言葉であろうとも
それはどこかで人間の幸福/不幸とつながっているのは間違いない。
そして幸福や不幸について考えることは、言葉について考えることだ。
私は幸福であるという無邪気な表明が、他者の幸福を否定してしまうらしい。
幸福を否定されたらしいどこぞにいた他者が、私の幸福を否定しにやってくる。
仮想の荒野でも、リアルな荒野でも、よくあることだ。
私の幸福が、あなたとの幸福が試される。
そんなとき、
誰かの不幸せの上に 築く幸せの意味とか
全て自分で決めたくせに 正しかったのか 間違ってたのか
行ったり来たり もう ぐるぐるぐるぐる
その一言でね
ほら全部 全部忘れちゃって
その二言目で
またもっと もっとよくばりになる
君の前だと 全部ほどかれてくの どこまでも
二言目
https://youtu.be/HtpAahU6zh4
そんなとき、
つまり言葉について考えるとき、人間は愛について考えている。
言葉があること、言いたいことが通じること、
言いたくないことも通じること、それが許されること。
愛とはなにかわからなくても、ひとの「この愛」はそのとき試される。
Pやん&みなさま、おやすみなさい。
新Pやんのよもやま話☆21
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
396アネモネ ◆5ZGBKpd/KQG3 (ワッチョイ 452f-OSjj)
2019/01/26(土) 01:17:35.42ID:O7Xims020■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています