今日のオレは、この荒野で幸福や不幸について考えた気がするけど
言葉というのは本源的に、いかなる言葉であろうとも
それはどこかで人間の幸福/不幸とつながっているのは間違いない。
そして幸福や不幸について考えることは、言葉について考えることだ。

私は幸福であるという無邪気な表明が、他者の幸福を否定してしまうらしい。
幸福を否定されたらしいどこぞにいた他者が、私の幸福を否定しにやってくる。
仮想の荒野でも、リアルな荒野でも、よくあることだ。
私の幸福が、あなたとの幸福が試される。

そんなとき、

 誰かの不幸せの上に 築く幸せの意味とか
 全て自分で決めたくせに 正しかったのか 間違ってたのか
 行ったり来たり もう ぐるぐるぐるぐる

 その一言でね
 ほら全部 全部忘れちゃって 
 その二言目で
 またもっと もっとよくばりになる
 君の前だと 全部ほどかれてくの どこまでも

  二言目
  https://youtu.be/HtpAahU6zh4

そんなとき、
つまり言葉について考えるとき、人間は愛について考えている。
言葉があること、言いたいことが通じること、
言いたくないことも通じること、それが許されること。
愛とはなにかわからなくても、ひとの「この愛」はそのとき試される。

Pやん&みなさま、おやすみなさい。