須賀敦子という作家が「小説のなかの家族」というエッセイでこう書いてる。

 わかいころ私たちは、あらゆることにおいて、
 自分の選択が、人生の曲り目を決定していくと信じていた。
  ……
 しかし、人間はある年齢になると、自分の選択について、
 他人にも、自分にたいしてさえも、説明することをしなくなる。
 説明するにはあまりにも不合理なところで人生が進んでいくことを、
 いやというほど知らされているからである。

オレの場合、自分のいちばんの失敗は進学しなかったことだと思っている。
大学に残って研究職に就きたかった。でもそうしなかった。
「自分の家と自分自身に、進学を支えるほどの資力がなかった」と言い訳しつつ嫌々就職したし、
就職した後も、オレ自身にその能力がなかったことがいちばんの問題だったのではないかと暗く考えながら
そのコンプレックスを社畜ライフのなかではエネルギーに変換してきた。

しかし、家族ができて子どもができて、生き物として世界への義理を果たしたところで、
須賀敦子の文章そのままなことが自分の身にも起きたんだろうと考えるようになった。
あの頃のオレには金もなかったし、能力もなかった。
「それだけのことだった」といまは考えている。