故意がないことにも、故意とみなす思い込みや、はっきりと示されたわけでもないのに、善意を悪意と捉えてしまうようなところなどは改めて行きたいです。
そして、私もはっきりと言葉にしたり気持ちなどお伝えして行くことを、もう少し
しっかりとして行きたいなって、今を生きることとは、想いや気持ちでありますとか
見つめあう中での試行錯誤の時にでも、一生懸命に生きていれば、自然な気持ちの
成り行きですとか、心の動きにも、寄り添って行けるんではないのかなって
私のこれまでの訴えの中でも、強すぎるものでありますとかは、その精査と言いま
しょうか、カッとするあまりに自分の中で受け止めきれていないそれが考えの
足りなっさとなって、傷つけてしまうことになったのかもしれないです。