あらゆる苦痛も。災難も。性に関する暴力も。
心との向き合いの中で、性器があるから全てが同一で偏りのある価値観を
肯定し続けなければいけないと言うことではいけないと思うんです。
その事は何か。人としてあるべき姿を望む時に、女性性や男性性と言った
誰かの強烈な価値観を守り続けて行くことと、あるがまあでの自分自身との
挑戦であり勇敢な見つめ合いとの選択やそれまでにある悩みの時間と仕事や
関係性と言った関わり合いの時を、どうしたら自らの手に掴み取り、自身の
力として行けるのか。歴史は性を押し付けるかも知れません。その時にも
自らの選択で、ノーと言ったことを言えない。それでは流動性も可能性すら
狭まってしまうと感じています。