言わなければいけないけれども、言っても、言葉としても受け止められないということの時間の空白は
なんとも言えない気持ちになります。誰しも向き合うことは多くあるのですけれども
そんな中でも、少しずつでも善悪に対する自分の感覚も関わり合いの中で見つけたりもします。
コンプレックスはいたずらな自己犠牲を強要するかも知れません。つまり、侵害に対する
感覚もなくなるほどの自己犠牲があるのです。〜のように。〜みたいに。はないんです。
自分の人生を自分の責任においてとって行かなければいけないのです。〜は責任を取りません。
幸せをこそ願うのは、あなた自身の選択を尊重する気持ちからです。いつまでもそうしていられないのです。
〜と比べた時のあなたよりも、真の自信となる選択を重ねて行くことは、小さなことのようですけれども
実は大変なことです。その事を脅かす環境があるのであれば、一度少し離れてみることも
いいかも知れないです。