その考えの受け入れは、不安を育むでしょう。
解消しきれないほどの人に恐怖を行き渡らせる事にもなるようです。
私は、その考えはあると思いますけれども、尊重できません。多くの悲しみを
伴い、絶対的な人においての区分けができるからです。
神様を信ずる気持ちがあるのであれば、私は、日本人として、日本に。堂々として
言いません。平和に対して、恐怖を効かせる事をしたくないんです。
寄り集まる中で、その一考えに屈するわけにはいかないのです。
私は、恐怖に対して、崇めたてたり祭ったりしません。その向き合い方では
恐怖の支配からは逃れられないからです。それは、愛の可能性の頓挫です。
矛盾する問題があります。無限のそして永遠の可能性は何を訴えたものでしょうか。