私の正義感なんて、どうでもいい事です。
もし、幸せを拘束する規定を強制的に洗脳のようにする時には、遠慮のない自由の下に
知らしめて欲しいのです。つまりは、自己の獲得です。私はこう考えます。
女性であり男性でも、望むように生きられる事がどれほど幸せかって。それは
無意識の中での意識が誰しも捧げられているのです。意識が素晴らしいそんな生き方は
日々の積み重ねと時間の過ごししかありません。強制的な事では考えが追いつきません。
その状態、無意識の意識の捧げの中では選択もままならないのです。ですから、
そのことに対する違和感は、当然だと感じますし、人が人であることだと感じるのです。
生きることや死についても。沢山の考えがあって。そして理解と納得の積み重ねの中で
得られることをこそ求めるからです。