中世の河原者たちが住んだ河原という空間は、
網野義彦という中世史学家が言うように、ひじょうに自由だった。
河原者は賤民ではあるけれども、彼らが住むそこは無縁(公的な力が及ばない異空間)でした。
「穢れているけど自由」というのは矛盾しているようですが、
実際にそこでは自由な商取引があり、表現の自由もあった。
それは、公界と異界の境界にできた異空間だったからでふ。

それが江戸時代になると土地に縛られることで、
その自由を失ってしまったわけでふにゃ。
ただ穢れた存在として、部落というゲットーのなかに閉じ込められてしまう。
かつて差別されてたユダヤ人と似てなくもない。
(ただし、ユダヤ人は穢れているのではなく、呪われているのですが)