>>316
排除と包摂ってのは、社会というシステムにおいて両輪になってる働きなのですよ。
排除されるひとはどの時代にも存在し、
包摂って働きもどの時代にも存在する。
歴史を細かく学ぶと、その両方にそれなりの意味があることに気がつくし、
人間はそういう動きをしてしまう生き物だということもわかります。

もちろん、差別や排除がよいってことではないですが、
可能な限り包摂されねばならんのです。

たとえば、むこうのスレでPやんが非人について書いてたですが、
江戸時代の非人というのは罪人や野宿人のことではあるんですが、
更生が認められると非人身分から抜けることができた。
これを「足を洗う」「足を抜く」と言いますが、そういう包摂のメカニズムがある身分も少なからずあった。
(盲人は賤民でしたが、健常な盲人から生れた子は賤民ではなかった。
歌舞伎役者も、江戸時代の中ごろには賤民身分から脱却した)

そういう包摂のメカニズムは、いかに身分制や差別が激しい社会であっても
ちょこっとは作られているもんです。
それを大きくこじ開けるためにも、歴史ってのは知ってた方がいいもんではあるのかなって思います。

が、オレはただおたくなだけでせうなw