僕が先日『読書について』の読後感想文を書き落としたのは
議論がしたいからではなく、特定の誰かを批判したいからでもなく
感想文に書いたように、それ自体が僕にとって重要な意味を持つ思索対象だからだ。

あの感想文における「読書」とは僕にとっては「学び」と同義である。
そして、僕が日常的に思索するのは「効果のある学びとは何か」であり、
その思索における僕自身の仮説を、偶然『読書について』で発見したのである。

つまり目的なき学びは(少なくとも僕にとって)効果的でないと言うことだ。
それゆえに僕が小学校から大学までの学びが嫌いだった。目的がないから。
僕が「学び」に開花したのは大学院で研究を始めたとき。
研究という具体的な創造活動に接すことで、はじめて厳密に学びに目的が生まれ
自然と専門書の内容が頭に入るようになった。

つまり、僕にとって「学び」とは「創造」と表裏一体なのである。
ゆえに僕は知識自体ではなく、その知識を活かし、この地球上の価値に
どんな価値を新しく付与したかを重視する。