理解できない文章と向き合った経験は塩なめさんにもある。

『死に至る病』『ツァラトゥストラかく語りき』『知の考古学』等々は、理解できるところがほんのチョットしか無くて、読むのが本当に苦痛だった(今も内容は覚えてない)。
それでも読み進めることができたのは、それらが古典であって、通読することで何かを得られるという保証があったから。その書籍(文章)に対する敬意があったから。
理解できないのは自分が悪いと割り切ることができたから。

その敬意もなく、かといって、別に読まなくていいや、と切り捨てることも出来ない。すると……砂蝉氏のようになるんだろうね(´・ω・`)