>>64
ぷっちは、眼のまえにある「椅子」を眼や手で知覚しているわけだが、
その「椅子」から、色や触り心地、叩いた時の音などの感覚所与を除き去ったら何が残るか?
人間に知られる物は何も残らないということになる。

つまり、「存在する」とは、「知覚されること」なのだ(「人知原理論」パークリ)

ということは、ぷっちが椅子を見ていないと椅子は知覚されないから、椅子は存在しなくなってしまう

同様に柱(棒)も同じで、
ぷっちが、柱(棒)から目を離すと、柱(棒)は存在しなくなって家が傾くか、ぶっ壊れることになるだよ

それとは逆に、「幸福」は、目で見たりできないから初めから存在しないのだよ
何故なら、「存在する」とは、「知覚されること」なのだから(パークリ)

ほら、しっかりと見ろ、こまめに触れ! じゃないと、消えちゃうぞ(笑)