>>803
言葉の本質には「抽象化」の機能が必ず含まれていますからな。
「犬」という言葉は、Canis lupus familiarisという学名を持つ動物で、
あの犬も、この犬も、「犬」で一括される。
単に「犬」という言葉からは、「あの犬」性や「この犬」性が削り取られている。
こういう抽象化ってのは、ある種の暴力によって達成されてしまうものです。
他人の悲しみについて語るとき、
他人の悲しみなんだから自分の経験の埒外にあるにも関わらず、
そこを飛び越えるために抽象化、つまり「この悲しみ」性の削り取りが行われてしまう。
だからこそ、他人の悲しみをネタに人は話ができるわけです。
そうすると、いま悲しみにくれているひとは、
周囲の人が「この悲しみ」ではない別の悲しみの話をしてるように感じてしまう。
感受性が豊かなひとであればあるほど、その想いは深くなって孤独になっていく。
同情や共感の中に含まれた暴力に気がついてしまう、ということです。
これはしょうがないことなんですけどね。
言語の本質にかかわることで、もうどうしようもない。
みか氏がときどきブチ切れてらっしゃるのは、こういう話なんだと思いますなw
「つつしみを持て」みたいな話は。
オレらが言葉の持ってる本源的な暴力を無際限にふるってるように彼女からしたら見えるってわけなんだろう。
そんなのオレらからしたら百も承知で話をしてるわけですがw
NO.102 salon de 蜂子
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837 アネモネ ◆5ZGBKpd/KQG3
2020/08/30(日) 23:22:51.32■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
