オレは思うのですけどな
ひとは、自分が好意を抱いている人が見てほしいと望んでいるように「いまは」見てあげたいのです

もしかしたら、すごく汚れたものが根っこにあって
それがそのひとの歪みになっているかもしれない
それを一所懸命に言い訳しているだけかもしれない

だとしても、「いまは」彼/彼女が言っていることを同意したいと思うのです
自分がそのひとを好ましいと思っているからには
「いずれ」今とは違う彼/彼女になるまで、「いまは」同意しながら待てばよい
友人というのはそういうものです

だからオレは、たとえば
「個人対個人で話がしたい派」だか何だか知らんが
そこにこういう作法みたいなものはあるのかと真剣に思うんですよな
見るかぎり、ないですよなw
オレの読解力の不測なのかもしらんが

結果的に、単なるディベートをしたくてここに来てるようにしか見えない
そういう話には、正直なところなんの意味も価値もオレは見出せない
つまらないしくだらない