たしかにある種の「過剰さ」を蜂子とオレは共通して持っている
それを「強さ」と表現するひともおるだろうし「エネルギー」と表現するひともおる
が、蜂子とオレでは、その過剰さの振幅はぜんぜん違う

蜂子はある意味、まだ許容できる範囲で、つまり現実的な範囲でわりと短い周期で振幅していて、
しかも遊牧民みたいに移動しながら関心や愛情の版図を広げていく
なんだかんだで蜂子は慈悲のひとだと思う
(そう感じないひともいるだろうがちゃんと知っておくべきことだ)
つねに運動しながら、移動しながら、つながりを創造的に作り、切断する

オレの場合は、ものぐさであまり動かない
振幅の周期は長くて、しかもたまに振幅の桁が外れる
極端に手をかけたり、あるときは極端に冷淡になったりする
ほんとうに破壊的なフェーズに入ると、情けの類は完全に蒸発して対象の根絶を躊躇しない
はっと気がつくと焼け野原になってることもある
(そういう姿を見たことがある人は、少数だがいるだろう)
サイコパスに見えることはあるだろうし、実際そうかもしれない