平和について、日本人は考えてた来たでしょうか。
様々な試みがあるでしょうし表れもあるでしょう。
歴史的な苦しみの中で、文化的なアプローチもあったことでしょう。
世界中の心そして魂。
人間として、そして理想または理念としても心同質にしたり、強く感じ合える奇跡もあることでしょう。
独自の表れもあるでしょうししかしいたずらにそのことにこだわるべきでしょうか。
私は、戦わずしてそれは戦火のいたずらに対しても、強くプライドを持たなければ嘘だと思います。
刺激しないことが正しさでしょうか?
砲撃に対しても、飲み込んでしまうことがまたはその時々の時流を読むことも必要でしょうが、常に力強く正しくなければ行けないのです。
何にも恐れのない正しさとともに、力強く生きているでしょうか。
戦いとともに常に自分自身との向き合いは成されていますか?
いたずらに頑なで表象的な価値観にこだわり続け、生きる道すら力なく見失い、確かなこともわからない頃に手立てもないままに。
どこにそんなことが通じてまた、感動をもたらしますか。
私達は個々のプライドが試されています。
正しく有りなさい。
力強く生きなさい。
そのために立ち上がり、戦うことは恥ではありません。
もっともっと、心の望みとともに
真に近づき、交わされる強さをどうして恐れますか?
あなた方の心の望みとともに、手に入れるのです。
それら強さは全てを心地よく叶えるでしょう。
地球上の望みであり、総意だからです。
話し合いなさい。
心酌み交わすのです。