子どもに酷いことをする親もいて、そういう親のことを終生許さないというのは、わかりますけどねえ。
許すことがつねに善であるということでもない。

ただ、子どもであったときの自分に親がしてくれてたことが
どの程度のエネルギーやら手間がかかっていたのか、
自分が親になるまではなかなか理解できない。
いや、頭ではわかってたとしても、
実感や体感も合わさった意味で、「思い知る」ことはできない。

オレの子どもの頃の記憶には、
母親が日曜日に作ってくれてたお菓子の匂いが染みついてるんですよな。
結局、あの日曜日の昼下がりの記憶に行きつく。

オレが住んでた家は高台にあって、周りには他の人の家はなくて、みかん畑に囲まれてて、
遠くには海が見える見晴らしがよいところだった。
母親は何十年も前のレコードかけて、クッキーとかチーズケーキを焼いてた。
オレは居間で海を見ながらおやつを待ってた。
中華風のジンジャークッキーがオレは好きだった。
ほろほろ崩れるような食感で、微かに生姜の香りがして、甘い。

幸福な時間でしたなあ。
あれを思い出すと、いまオレはなんてところにいるんだと思う。

大人になって、クッキーとかケーキを娘に作ってあげたりするとき、
けっこうくたびれもするんですよなw
日曜はごろごろしてたいとかちょっと頭をかすめたりする。
母親も平日はなば工場(きのこのことを方言で「なば」と言ってた)で働いていたから、
たいへんだったろうなと思う。

ジンジャークッキーは、ラードを使うんですよな。
それでサブレみたいな軽い食感になる。
もう四半世紀以上前に、母がどこでこういうレシピを知ったのかわからないけれど
田舎でこういうレシピを調べて作るのは、大変だったろうと思う。
近くに本屋もないし、もちろんインターネットもなかったから。
たぶん彼女も、家族に喜んでほしくて努力してたんだと思う。

大人になって、子どもができてからしか思い知れないことかもしれませんね、こういうことは。