藤田一家★529
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未だにスレ主に謝罪のない福岡土人田中と
どっちが酷いですか? なんかさっきマイホに見かけない着ぐるみが徘徊してた。
何人か後をつけて金魚のフンみたいに付いて歩いてたから
なんだろうと思って俺も見てたらスタッフルームに入っていった
何分後かにスタッフルームからシバター出てきてワロタ
なんだこりゃ・・・ 低能無職44歳 巣穴を追い出せれ 規制
www
アホの軌跡
最悪板のスレを潰され放棄→自己紹介板に逃げ込みガニエと田中に助けを求める→藤田一家スレを我が物顔で荒らし藤田皆を敵に回すwww→いつも通り煽りスレ乱立→詰められ発狂→田中規制→ガニエ規制→44歳会社でWi-Fiスポット君一人ぼっち焼け出されて負け犬の遠吠えwwwwww←今此処
田中とガニエの憩いの場をアホの自尊心の為だけに潰した挙げ句二人共端末規制
ある5chネット弁慶無職44歳の結末wwwwwwwwwwww 休み前の木曜日に飲みの誘いがあったが断った
今日きいたんだけどそのメンバー全員コロナ発動
俺ついてる せんだみつおゲームではしゃいじゃったんでしょうね、、 ただいま
さて、何から話そうか
とりあえず去年10月から時系列がいいか 椎間板ヘルニアが寛解し、社会復帰したのがこの頃
個人事業主としてあと10年、身体使って金を稼ごうと
軽貨物の配達業務を始めたところだった
やってみたかった仕事で、大変だけどやりがいもあった
11月に入った頃から、よく咳が出るようになった
咳止めの市販薬を飲んでも咳の頻度は上がる一方で
体力が消耗するのがつらかった
次は息切れ
肺の半分しか使えてないと思うくらい
ちょっとの運動で息が切れるようになった
低層マンションの階段を3階まで上がった時は
しばらくその場から動けなかった
最後は顔のむくみ
朝起きると何だか視界が狭い
タバコの先端が見えなくて、うまく火が着けられない
トイレを済ませて洗面所で鏡を見ると
昔2人対6人でボコられた時を思い出すくらい顔がはれている
このはれ(むくみ)は時間が経過しても引かず
仕事場の仲間がこの顔を見て引くことになる 12月は繁忙期で、1月は人員が少なく
カミさんに散々「医者へ行け」と言われ続けながら
ようやく重い腰を上げたのは、1月も下旬に入ってから
レントゲンのフィルムを前に仏頂面の医師が
明日にでもCTの撮影が必要だと言う
仕事が忙しく来週にならないと時間が取れないと言うと
「このレントゲンは来週まで放置していいものじゃない」と
一喝され、その後のスケジュールを決められてしまった
忸怩たる思いで件のレントゲンを睨む
右肺上部を串刺しにするように不気味な陰が横たわっている
この時点での医師の見立ては「肺がん」
陰の正体は大きく成長した腫瘍で、恐らく悪性のもの
まずはそれを確かめなければならないとのこと 自宅への帰り道、様々な思いが去来する
(なんで俺が)というのはあるにはあるが
酒もタバコも30年以上、人並み以上に嗜んできたのだから
どこへ文句を持って行く訳にもいかない
ことにタバコは「早くくたばるための薬」だと
吹聴してはいたものの、ここから入院だ治療だと事が運んで
結果完治するようでは、まったくのくたびれ儲けである
第一、俺のイメージに治療なんてものはない
手遅れの肺がんでくたばるんだろうぐらいのことしか
考えていなかった
まぁ骨を折った覚えは無いし、タバコはうまかったから
この点についても文句は無い、あるようで無い
結局、医師やカミさんの言いなりに
入院治療するしかなさそうで
明日からの我が身を想像するだけでクソダルいんである 仕事場への報告と休職手続を行ない入院したのは1月末
病名は「肺がん(ステージ3-b)」と確定
他の部位への転移は無く、根治を目標に治療が始まった
まずは顔のむくみについて、腫瘍が静脈を圧迫していること
息切れについては、腫瘍が気管を圧迫していることが
それぞれ原因であると診断結果が出た
これを改善するため、ステントと呼ばれるシリコン製の管を
喉から挿入し、気管の働きをサポートさせることになった
全身麻酔で若干リスクもある手術だが
がんばるのは医師で俺は駄馬のように寝ているだけである
無事成功し、息切れ、顔のむくみともに緩和したが
それは「痰」との闘いの始まりでもあった この痰は、ステントを挿れた副作用のようなもので
四六時中吐き散らかしていないと気管が詰まり
こちらの命が危なくなる
定期的に痰を吐くための吸入薬も用意されており
規定通り吸入したかどうか、看護士がチェックする
俺としても肺がんでくたばるのは諦めがつくが
死因が「痰」というのはどうにも格好がつかない
よってせっせと吐いていたつもりだが
それでも痰が気管に詰まって、強制的に排除しなければ
ならないことが2回もあった
まったく恐るべし、である
この闘いは肺がんの治療が終わり
体内のステントを除去するまで続いた さて、肝心のがん治療だが
胸や背中を掻っ捌いて腫瘍を取り除くようなことはできず
毎日の放射線照射×30回に抗がん剤投与(点滴・週一回)を
併用する形で行われた
放射線照射は1回約5〜10分
横になっているだけで痛くも痒くもなし
ただし、放射線の効力は3日4日と長く続くため
胸部に火傷のような皮膚荒れができたり
倦怠感が発生したりということが日を置いて起こる
俺の場合、胸部と背部4ヶ所の痛みに苛まれた
横になって痛く、身体を起こしても痛く、夜が長かった 一方、抗がん剤の点滴は
病院側の段取りが悪く、長く待たされることがある以外は
どうということのない治療だった
「ハゲる」を中心に様々な副作用とともに語られることが
多く、どうにかここまで持ち堪えてきた俺の髪も
遂に年貢の納め時かと覚悟を決めたのだが
俺への抗がん剤は、医師の判断でかなり薄めたらしく
抜け毛はもちろん、何の副作用も感じ得なかった
こうして医師のスケジュール通り
俺の治療は順調に進んで行ったのだった 以下に入院患者の一日をざっくり書いてみる
6:30
起床
看護士の検温、血圧測定で起こされる
もっとも、朝飯恋しさにすでに起きていることも多い
7:00
朝食
必ず味噌汁が出るのがありがたい
茶碗半分の白飯(約150g)を味噌汁の椀に放り込み
ずざざざーっと一気に流し込む
残りの白飯には、カミさんからの差し入れである
「大人のふりかけ」を振って掻っ込む
おかずは食えるものなら食う感じ
8:00
医師が様子を見に来る
体調の変化や困ったことがあればこの時に相談する
9:00
治療の時間
12:00
昼食
味が薄くてまずい飯を食えるだけ食う
13:00
治療の時間
15時前後に看護士の検温、血圧測定もある ところで、院内には患者も利用できるコンビニがあり
歩ける奴は自力で、そうでない奴は看護士をパシらせて
財力の許す限り好きなものを購入できる
俺の場合はまずお茶と水、次にスイーツ各種p
その次に調理パンが来て、会計は大体1,000円前後
調理パンは昼食や夕食を全キャンセルした時に食い
スイーツは看護士を怒鳴りつけることのないように
糖分を摂取するために食ってた
俺 vs 看護士の闘いの模様は、気が向いたら書いてみようか 18:00
夕食
デザートとしてついて来るゼリーや杏仁豆腐だけが楽しみ
20:00
看護士による検(ry
21:00
消灯
長い夜が始まる
昼間を寝て過ごしてしまえば
21時だろうが夜中の1時だろうが1ミリも眠くなんかない
睡魔の到来を心待ちにしながら、身体の傷みに耐えながら
俺は「いつか書きたいもの」を夢想する ○ヤン・ウェンリーが死なない銀河英雄伝説
砂糖菓子に練乳をぶっかけたくらい甘く、相当気に入ってる
自分で想像したワンシーンでリアルに涙が出て驚いた
ストーリーは進むんだが、終わる気配がなくて困っている
○今の仕事をベースにしたクライム・ノベル
平凡な配達員が、ある客との出会いをきっかけに
特別な荷物の配達を請けるようになり…という
ありがちで書きやすそうな話
ワンパから脱却できそうなネタがあればって感じ まず思いつくのはこの2つ
他にもあったはずだけど、熱が上がって忘れたなぁ
ペンもノートもコンビニにあったのに
用意をしないってことは
結局書く気がないってことなんだろうなぁ よし、それ今すぐ書き始めちゃいましょう
身体は勝手に良くなるけど、自由な時間を貰える機会は少ない
思い立ったがポコチンですよ 意欲をギンギン丸におっ立てましょう
私も入院してた時に何の気なしにスロ板にお話を書き始めて退院と共に終わりました 話を戻そう
退院して通院を始めたのが3月初旬
肺がんの治療が終わったのが3月下旬
ステント除去のための再入院が4月初旬で
手術→肺炎(通院中に拗れたらしい)治療→退院が4月29日
今後は肺炎のぶり返しを警戒しつつ
がんに対抗するための免疫力を高めるための点滴を
2週間に1回、1年間行なうことになる 家の近くの温泉へ行き
痩せ衰えた老体を浴槽にじっと沈め
行く末に思いを馳せる
命を拾ったのかどうか、今はまだわからない
入院前に比べ身体の具合は飛躍的に楽になったものの
今も肺炎との小競り合いが続いていて
37度ちょいの微熱に悩まされることもしばしば
この微熱が実はクセ者で、食欲と行動のためのエネルギーが
ゼロになり、ただのニートに成り下がる
目下一番の問題で、早く肺炎が完治することを祈るばかり
である 雑にダラダラ書いて申し訳ない
とりあえずはここまで
あとは気が向いた時に書きます
ではおやすみなさい エロいのムッチリ看護士(男)が24時間体制で下半身のお世話をしてくれたとこまで読んだ
うちの父ちゃんも舌からあごにかけてガンになって顔半分くらいになって生死さ迷ったけど
今は酒もタバコも復活して路頭を彷徨ってるからすぐ治るよ 梅田で御堂筋線くっそ混んでるから
四つ橋線まで走ってたらどこかで事務所の鍵と会社の鍵
落とした最悪だ
ぜんぜん見つからん。気づいたら無くなってた >>304 305 307 308 309 310 312 314
315 317 318 319 322 323 324
なんだとぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお
嘘だろおい! 癌だったんか 今じっくり読んだよ
ホイよ大変だったな
何もできないが今生きてるのが奇跡だな 目を瞑ればジタンを薫らすホイが目に浮かぶが
うちのドムいや嫁もステージ3の癌だったが術後
5年経ったが何もない。たぶん完治した。
ホイよ、生きてて良かった。さんまが言うように生きてるだけで丸儲けだ
今まで苦しかった分上にあがっていくだけさ >>328
親父さんwwwww出たwwwww親父さん出たwwwww(ry
1月上旬から射精してなくてさ
4日前に(そういえば)と思ってオナニーしたら
見たことない色の精子出てきたよ >>349
ありがとさん
奥さんの話は初めて聞いたけど
がん患者を支える存在として
心配や苦労が絶えなかっただろうと思う
ステージ4だったらと思うとゾッとするな もしも病が完治して、あと20年ほど生きるとしたら
何をしようかと考えることが多くなった
使命感などというものではない
筋少が歌うところの「おまけの一日」に近い
少年の夭折を憐れに思った神様は
彼にあと一日だけ寿命を授ける
おまけの一日、さりとてするべきこともなく
なんとなく日は暮れて、その夕陽を見ながら少年は
ああああ僕の人生こそ、おまけのようなものだったなぁ
と思いました
時間はない
だけど今はスケジュールを立てる気にはならない
諸事どうにも煮詰まらないのを
今は食材が揃わないせいにしながら
何が出来上がるかもわからず途方に暮れて…
十代の頃から中毒しているこの感じを
久々に抱え込んで立ち往生だなぁ んなこたーない
引き続き大阪で仕事
毎日暑い・・・ >>361
人は死んでも、その人の影響は死ぬことはない
とはキング牧師の言葉だがその少年に影響を受けたのが
ミルマスカラスだとしたら格好良くないか
生きてりゃ少なからず周りの人に影響を与えているもんさ まあ、俺がホイから受けた影響は
「ダンディズム」「文才」
あと「目押しの重要性」な 俺も、ちとディスク打ってくるとか言ってみたかったなぁ
だいたいジャグラー打ってくるなんだよね
俺の場合
ははは 何の話してんだ俺は
作業場暑すぎて頭おかしくなってきた
室温30度以上あるぞこれ ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています