我々は丹久枝が何故このようなスレッドを所望したのかという
疑問を解決するため、丹久枝の故郷である兵庫県に向かった。
「まだ日本にこんなところがあったのか…」
思わず口に出てしまった言葉を同行した上司に失礼だと咎められた。

ちっさいオッサンが住むような小さな家、カツアゲで素寒貧になった高校生たち、
そして彼らは余所者で身なりのいい我々を監視する様に見詰めている。
高度成長だの、神武景気だの、オリンピックだので浮かれていた我々は
改めて大阪民国西部の現状を噛み締めていた。

ボロ屑のような家には老いた母親一人と父親のパソコンが一台。
我々を見るなり全てを悟ったのか、涙ながらに
「娘が毎日パソコン5時間も6時間もしてムダレスだらけで申し訳ありません」と
我々に何度も土下座して詫びた。

我々はこの時初めて丹久枝を許そうと思った。
誰が悪い訳ではない、尼崎のガラの悪さが全て悪かったのだ。
我々は丹久枝の母親から貰ったたこ焼きを頬張りながら、
打ちひしがれて東京への帰路についた。