・オランダの移民問題

「事の発端は60年代から70年代にかけて、オランダ経済が発展して労働者が不足したとき、主にモロッコから単純労働者を受け入れるようになったことなの。
オランダにやってきたモロッコ人の労働者は、教育水準が低く、オランダ語を学ぼうとせず、自分たちだけで固まって住むようになったの。
でも、オランダ政府はそんな状態を放置して、移民労働者をオランダ社会に溶け込ませるための努力は払わなかった。
政府は彼らが出稼ぎ労働で金を稼いだら、自分の国に帰っていくと考えていたのよ」

しかし、移民労働者は故国に帰らなかったといいます。
3年間とか5年間の契約期間が過ぎても、彼らはオランダに残留することを望み、例によって支援団体なるものが現れて、彼らの主張を支持したため、結局、彼らはオランダに居座ることになったのだそうです。
さらに移民たちは故郷から家族を呼び寄せるようになります。独身の労働者もオランダで結婚相手を見つけようとはせず、彼らの故郷であるモロッコの山間の村から花嫁を呼び寄せるのが普通だったといいます。

その結果、移民のゲットーはますます肥大するのですが、リベラル色の強い左派政権は、移民がオランダの国民と同等の社会保障が受けられるようにし、
さらに多文化主義の原則に従って、移民たちが子弟をアラビア語で教育する学校の建設を認め、それに対して補助金を出したといいます。

このへんは日本における在日朝鮮・韓国人に対する特別優遇措置と似ていますが、オランダのイスラム系移民2世の場合は、家庭でアラビア語しか話さず、学校でもアラビア語で授業を受けることから、
オランダで生まれ育ったにもかかわらず、十分なオランダ語の能力を持たず、それがネックになって、就職が困難になっているのだそうです。
その結果、移民2世の失業率が高まり、失業した若者が非行化して、彼らによる犯罪が多発するようになったといいます。
また家庭でのイスラム教に従った厳格な躾と、オランダ社会の自由でリベラルな雰囲気のギャップに悩み、深刻なアイデンティティークライシスに陥る移民2世も多いそうです。