日共時代に暴れ足りなくてそれをずっと引きずった革共同の本多さんや、ブント
のさらぎ議長とは違った意味で、荒派のRG隊長だった松原さんにも所感派幻想、
日共軍事路線への憧れみたいなものがあったんじゃないのかな。北京での2.000人
の軍事訓練、人民艦隊と呼ばれた密航ルートを使っての武器の搬入、当時Yと呼ば
れた非合法軍事組織中枢は銃で武装していたんだから。50年代のそれと比べれば、
70〜80年代の武装闘争なんて子供の遊びのようなもんだし、所感派残党への合流が
土日P闘争の彼らなりの総括だったんだと思うよ。