西田派の小林さんというと岩波文庫から廣松版ドイツイデオロギーを編集し出版した
小林昌人さんでしょう。西田派でのペンネームは赤城護ではなかったかと思います。
僕は廣松さんが亡くなるちょっと前から名古屋引きこもりのブントシンパ扱いでしたが
本当にそんな大ブント構想があったのか、ちょっと疑問に感じました。
烽火と西田派は当時から提携して活動していましたが、本当にそんな動きがあったのかどうか。
明日の三里塚集会で先輩方に聞けるかもしれません。
あと統一委員会結成前に烽火、西田、蜂起統一ブント結成、という話は確かにありました。
これは確認済み。蜂起派が分派の権利などを主張し結局離脱しましたが。