74年 4月 赤軍派(プロ革)結成。いわゆる塩見派。
74年10月 情況派から古賀グループが別れて游撃派を結成。
75年 5月 共産同全国委(烽火)から加納グループが別れてボリシェ
ビキ派を結成。女性差別問題が原因。
75年 5月 赤軍派臨総グループはプロレタリア独裁編集委員会を結成。
75年 8月 赤軍派(プロ革)から高原グループが別れてML派結成。
76年 3月 プロ独編集委と烽火ボリシェビキ派が統合して紅旗派結成。
79年 3月 赤軍派(プロ革)から塩見グループ追放される。塩見派は
      日本社研結成。
79年 7月 游撃派とプロ革から分れたML派が統合して革命の旗派を結成。
81年 9月 紅旗派と革命の旗派が統合して赫旗派を結成。生田らが赫旗派
     中央委多数派を形成したのに対し、旧游撃派グループは少数派
     を形成。
83年 9月 旧游撃派グループは赫旗派首都圏協議会を結成。(85年9月に
は赫旗派首都圏委員会と改称し、さらに88年11月には共産同
首都圏委員会を名乗る。)
85年12月 赫旗派から生田グループ追放される。一時期双方が赫旗派を
     名乗るが、松平グループが赫旗派を継承。