70〜80年代のブント諸潮流とマオ派の関係の整理をだれか解説してくれない?
リベなんとか社のhpで過去の烽火派の機関紙を見て驚いたのが、ソ連「絶対悪」、中国「相対悪」といった
視点で中越戦争を論じていたこと。
指導部の政治路線としては目くそ鼻くそ以下の中ソに対し、あの客観的な烽火派が、当時は、やっぱり「中国はソ連と違っていいよね。文革の将来は期待できるよね」とか、当時の心中では思っていたんだろうか?