多分同志DIは、己の賃プロとしての実感から職制に対して勇気を持って「前指を差される」
ような跳ね上がり的実践を行う事によって、上記のような〇の労働戦線全体の否定的現実を
突破し、労働戦線を強化出来ると観念し、賃プロ魂注入主義と後に称されるようになった
左翼冒険主義的路線を提示したのであろう。
そして、〇の幹部は誰一人、同志DIの主張の小児病的で冒険主義的性質を見抜く事が出来ず、
同志DIの幼稚で危険な主張に屈服してしまったのである。
尚、〇の幹部が誰一人として正しい判断が出来なかった理由は、KKさんが同志DIを抜擢して
しまったという事もあるが、より本質的には、〇の産別組織が革命的労働者の組織として
全く機能しておらず、腐敗の極みに達していた為なのである。
従って、同志DIの幼稚で危険な主張に屈服した己を反省するという事は、同時に国鉄戦線の
組織防衛を目的とした実践を行う事によって、〇全体が労働戦全体が腐敗の極みに
達してしまった事に対して反省するという事でなければならないのである。
KKさんが同志DIを抜擢してしまった事についても、KKさんを一人の同志=人間として冷徹に
捉え、上述のような考察内容から振り返って捉えなければ、KKさんが可哀そうという
ものなのである。