松永久秀の悪人なりのプライド

「神はいない。もし、いたとしても人間だけを見ているほど暇ではない」
松永久秀はこんなことを言っていました。
この点で、無神論者だった織田信長と響き合い、哲学的思考のベースとして共有するものが、二人にはあったように思います。

実際、久秀と信長は一時期、蜜月関係にありました。それは永禄11年(1568)に、信長が足利義昭を奉じて上洛したときから始まります。
13代将軍だった兄の足利義輝を久秀に殺された義昭は、仇である久秀を誅するよう、信長に求めました。
ところが、信長は久秀の首をはねるどころか1万の兵を与え、「大和を平定せよ。そこはお前の領地として与える」と命じます。

2年後の元亀元年(1570)、越前の朝倉義景攻めに出兵した信長は、義弟の浅井長政の裏切りによって危機に陥りました。
このときの「金ヶ崎退き口」では、久秀が退却路にあたる地の領主・朽木元綱を説得することで、安全を確保し、信長の命を救っています。

信長が死ねば、京は永禄11年以前の混沌とした世界に戻り、久秀にとって都合が良いはずなのに、なぜ裏切らなかったのか。
久秀が「金ヶ崎退き口」で信長を裏切らなかった理由は、二つあると思います。

一つは、織田家の被官になって1年ぐらいしか経っていないので、三好長慶に仕えていたときのように、
自分が信長の「懐刀」になれるとの自負があったことです。織田家をもっと膨張させて、その参謀格として家中に自分の力を浸透させていく。
まさに、三好時代のやり方ができると考えていたのでしょう。

二つ目の理由は、信長が利害抜きに、久秀を気に入っていたことです。気に入ってくれる相手を裏切ろうという感情が、
湧かなかったのではないかと思います。

https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20181227-00010000-php_r-pol