>>232
すいません。西原ら全青同転向グループと山下派を混同してました。
山下氏は、戦闘的な解放運動活動家でしたが、別に革命を標榜していたわけではないので、革命的部落解放運動から落ちたわけではなかった。
あの時期は山川戦争が同時に起こり、自民と社会の複雑な利権争いの中に、山下氏も巻きこまれていた。
私らの目には一方の利権の当事者に見えたのです。
今回、指摘を受け、「被害差別部落のわが半生」を読み直し、川口派の利権主義と対抗していたと理解できました。
山下氏が利権に染まった、というのは間違いであり、侮辱です。
間違ってました。申し訳ありません。
一方、狭山闘争を巡っては、上記の著書に、何の記述もない。一言も出てこない。これはやはり、ガッカリでした。
県連分裂以前の青年部常任委員会による「社青同への見解と態度」では、狭山闘争をめぐり、「仮釈放」路線への批判を欠落させてしまっていた。
これ以前は共通の前提だったはずです。
結局、仮釈反対を貫いたのは、解放派と戦旗のみ。
強引に聞こえるかもしれませんが、仮釈反対を下ろしたことは、狭山闘争への裏切りに当たりませんか?
少なくとも後退させている。
ただ、「見解と態度」は山下派ではなく、西原グループの意向が反映していたのかもしれません。
当時の私には、裏切りに見えた。
著書を初読した時、狭山闘争の著述が一切無かったので、やっぱりかと思ったのです。
山下派が狭山闘争を、どう取り組んでいるのか。
さらに勉強してみます。
本当に、いつも、あなたには怒られる。
「橋の無い川」公判闘争で、青年部と共に、大阪高裁に突入し、無届けデモで私服どもを血まみれにした、そんな日々を回想しつつ。