90年代の前半だと思ったが、狭山の集会で、解放派は石川さんの仮釈放に反対してたから
解放同盟からレッド・パージされてたんだけど、会場の外で独自の集会をしてたら
解放同盟の幹部の人がきて、「お前ら、あんなビラ巻きやがって・・・」と解放派を批判しに来た。
それで解放派の独自集会の前の方にいた全学連のメンバーと言い合いになった。
その幹部のおっさん強面でなんといっても泣く子も黙る解放同盟の幹部だから、
解放派のメンバーがちょっとはびびると思ったんだろうな。
その内、「やかましい、このがきゃぁ!」とか切れ始めたけど、
全学連のメンバーが全然びびらんで、そのおっさんに「うるせェ!じじい! 引っ込んどけ!」
とか逆に野次を浴びせ始めるとすぐにスゴスゴと帰ってしまった。

笑えたのが後日談で、本当はその年、解放同盟は解放派を狭山闘争の本集会から
解放派をパージするつもりはなかったらしい。それが何でパージされたかと言うと、
そのおっさんが解放派と解放同盟との窓口で、単純にその幹部のおっさんが解放派に
その年はパージしないことを事前に集会の前に告げ忘れたらしかった。
要はその幹部のおっさんが切れたのは単純な逆切れだったらしい。

そう言えばその翌年だったかな? 石川さんが出てきたのは?
毎年五月に狭山現地に狭山事件のフィールドワークみたいに行くやつあれなんていったっけ?
とにかく、その年、石川さん自身がそのフィールドワークみたいな奴に参加して、
狭山裁判についての思いを色々語っていたらしい。俺は行かなかったけど、直接石川さんから
話を聞いたメンバーは石川さんが「出所したら狭山事件の判決を下した裁判長で包丁で刺して
やろうと思ってた」とか言うのを聞いて、それまで解放派の仮釈放反対の方針に内心疑問視していた
連中も一挙に解放派の方針が正しかったことを確信したとか言ってたよ。