赤砦と現代の分裂の意義は?これが、なかなか分からなかった。
きっかけや、経過ははっきりしているのだが、解放派の原則に乗っ取った非合法革命党として、どちらが、より正しかったのか?
表れた現象だけでなく、両者を、とりわけ、その指導部を動かす原理的思想的エネルギーが、何処にあったのか?
機関紙等を読み比べれば、当初は現代の方が明らかに言葉巧みで、解放派らしい物言いをしていた。
赤砦は、はっきり言って、文章も稚拙で、論理も雑と云うか、まぁ、活動の作風からして、非常に不器用な印象を与えていた。
判断は難しかった。
ただ、現代が、自分等は武装闘争をしないのに、赤砦の闘争を「くさったゲリラ」と罵倒した辺りから、「何じゃ、こりゃ?」と感じるようになった。
それでも、解放派か?と感じてしまった。
でも、あの北条氏や、革命的労働運動の積年の指導者等も現代を選択している。
今でも、亡くなった二人の労働者と
北条氏が現代を選択したのは、本当に惜しく痛ましい事態だと思う。