攝津 正
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日対研とやらの経緯は具体的に知らないが、
NAMの崩壊やその前段のQの委員会の内紛と崩壊にあっては私自身の責任も多かろう。
その後例の鎌田から罵倒して辞めたようだが、
当時委員会に残っていた横浜の三木とかなんとかいう精神科の医者は
私が執行部の批判を開始したとき措置が必要とかなんとか抜かした