共産主義と新自由主義は紙一重
表向きは真逆に見えるが、どちらも近代合理主義がその産みの親。仲の悪い兄弟みたいなもの。 どちらも人間や国家を商品程度にしか考えられない陳腐な考え方。 特に伝統的な社会や文化の中で村八分にされた人達が心の拠り所にしている、あるいはそれを利用している傾向が強い。 政府•ルール•慣習そして貨幣すらも廃止をし、肉体と武器で他人の所有物の収奪すらも許容される「全く自由な社会」を0%。 一方日本の極左やリベラルそして新自由主義者と呼ばれる論客の意見を全て受け入れた社会。 後者が前者からどれくらい離れてるかを計算した場合結構近いのではないという仮説。 >>1 >>3 妄想を繰り広げていないでマルクスを読んでみなさい。 両極端で極めていけばどちらも地獄というのはその通り。 竹中平蔵と菅直人は表面は真逆でも 裏は同じなのかも知れない。 共産主義者って些細な市場原理や弱肉強食でも新自由主義認定しちゃうんだなー 新自由主義認定をするハードルが誰よりも低いよアカ〜 新自由主義ってもともとアメリカ民主党右派の経済思想なんだが 私は、気ちがい34年!の障害者です。 自民党は、親に飯食べさせてもらって、遊んで暮らして昼まで寝て、昼からワンカップ大関1本飲んでいい気持ち の私に、障害者年金、1ヵ月64941円50銭しかくれません。。。。 共産党になったら、遊んで暮らして昼まで寝て、昼からワンカップ大関1本飲んでいい気持ち の私に、20万円くれる。。。と、言うのは、本当ですか?? 自民党は、ケチ! 親に飯食べさせてもらって、遊んで暮らして昼まで寝て、ワンカップ大関1本しか飲めないじゃないか! 障害者年金月65000円のうち、月ずき1万円ずつ貯金して、 北海道17回?沖縄5回しか行けないじゃあ〜ないか! 今年も障害者年金月ずき1万円ずつ貯金して、12ヶ月12万円で北海道旅行行くもんねえ〜 tocana.jp/2014/10/post_5113_entry.html A倍首※の右傾化はウソ!? TOCANA 2014.10.31 「ネオコン」って言葉は、聞いたことがあるんじゃないだろうか?「ネオ・コンサバティブ (新保守主義)」の略だ。K泉純一郎やケケ中平蔵、 ジョージ・ブッシュなどの名前が、なんとなく思い浮かぶ人も多いかもしれない。 自由主義を推し進め、関税障壁を無くし、世界を経済的に一つにしてゆこうとする考え方をネオコン経済学「新自由主義(ネオ・リベラリズム)」と呼ぶが、「あんまりよくわからない」というのが正直な所じゃないだろうか? 「好戦的だから、きっと保守・右翼に違いない」と、単純に捉えてしまっている人も多いと思う。今日は、この「ネオコン」「リベラル」と言われている人たちが保守・右翼ではない事を証明よう。 ■ネオコンの成り立ち 元々は保守に潜入する革新派 まずは、ネオコン経済学の教祖「フリードリヒ・ハイエク」から説明しよう。ハイエクは、 「フェビアン社会主義協会」が作った「ロンドン・スクール・オブ・エコノミックス(現在のロンドン大学経済学部)」のユダヤ人教師である。 それが、ネオコンが保守ではないこととどう関係があるのか?「フェビアン社会主義」とは、人々が判らないように保守陣営に浸透していき、バレない様に社会主義革命を起こそうとする革命理論のことである。 つまり、その始まりからリベラルと名乗って保守の中にいる人間は、本人が認識している認識していないにかかわらず、この浸透戦略に基づいているのである。 ※「社会主義」とは、「共産主義」と同義で、「左翼」と呼ばれている人達の思想だ。世界を一つにしようとする思想のことで「コスモポリタニズム」などと呼ぶ事もあり、「国家主義・右翼・ファシズム」と対比して捉えられている。 次に象徴的な人物として「アーヴィング・クリストル」の名を挙げよう。彼もまたネオコンの教祖と言われているユダヤ人だ。元々は、第4インターナショナル のトロツキー派の人間だったが、やはりアメリカ共和党系の保守運動に浸透した。 ■この革命理論の大元である「トロツキー」を支援していたのはユダヤ資本 「トロツキー」とは永久革命・暴力革命論を唱え、ヤコブ・シフやウォーバーグなどの資本家から資金援助を受けて、 …ロシア革命を成功させた人物だ。 左翼の中でも過激派と呼ばれる人達は、大体、このトロツキー派の流れを受けている。 以前、政治評論家の森田実氏に直接、質問する機会があったので、この事を聞いてみた。先生曰く、やはりネオコンと言うのはその起源から左翼で、現在、アメリカ共和党のティーパーティー運動を率いているのも共和党に入り込んだトロツキー派の人間である。 次に、現代日本における判りやすい事実を紹介しよう。「地方分権・地方自治・道州共和制」を地方の首長らと先導していた、「がんばろう、日本!国民協議会」という団体がある。 「日本再生」と言う、機関紙を発行している団体だ。まるで保守団体の様な名前で、直接話を聞くとリベラルを自称していたが、実はこの団体は「マルクス主義青年同盟」と言う左翼団体が看板だけをすげ替えた団体である。 調べてみるとかなりの右翼政党までこの団体の息のかかった人間が浸透している。 最後に「ロックフェラー」が資金提供して作った、「ゾルゲ」や「尾崎秀実」の スパイ事件で有名になった「太平洋問題調査会」と言う団体について触れてみようと思う。 アメリカ共和党のジョセフ・マッカーシーは、「国連」と並べて、この太平洋問題調査会を「赤(左翼)」の温床として指摘した。ちなみに、ニューヨークの国連本部の土地もロックフェラーが提供している。 この太平洋 問題調査会に日本代表として派遣されていたのが鶴見祐輔である。この鶴見祐輔・著『中道を歩む心』(昭和2年、大日本雄弁会 講談社)が面白いので、ちょっと序文を引用してみたいと思う。 以下、文中より引用(一部、旧字等を変更) 「リベラリズム(自由主義)を名乗って、世の中に出てゆく日がくるんだぞ」という小さな声が、私の中を走りすぎた…かつて官僚主義全盛の日において自由主義を信じたごとく、社会主義が思想界の流行ならんとする今日においても、 自由主義を奉ずる私の気持ちは変わっていない…私が初めて日本の社会に出たのは、大正十三年の総選挙の折に、郷里岡山県から「新 自由主義のために」という宣言書を出して、衆議院議員の候補者に立った時である。 以上、文中より引用。 安倍程度で新自由主義認定しちゃう共産党系って凄まじいバカw ヽ / \ /\ / ―/<◎>\―  ̄ ̄ ̄ ̄ //TTTTT\ / /TTTTTT\ \/TTTTTTTT\ ピラミッドに目玉 プロビデンスの目 イルミナティとも呼ばれる事でおなじみの 新自由主義、ユダヤ人銭ゲバ拝金主義は、 1789年フランス革命では左翼=ジャコバン派を裏で操っていたと言われ、左翼に加担したことで知られている。そして、フランス革命で掲げられた「自由、平等、博愛」の理想も、 元をたどればフリ-メイソンの教義が元ネタだったとされる。そしてそのフリーメイソンの元をたどれば、金融の仕組みの元になったユダヤ人そして、石工職人組合 その「自由、平等、博愛」の思想が北アメリカ大陸に渡り、超国家となったのがアメリカ合衆国。 アメリカ合衆国の歴代の大統領の中にはフリーメイソンのメンバーだった者がいるとされる。 従って、新自由主義とは左翼と関係が深い、左翼の亜種であり 新自由主義は、政府(行政)の規制を怖がり、どちらかというと商人(ユダヤ商人)に都合の良い理屈で出来上がっている。 日本政府など国家行政の徴税からどうやったら逃げるかを考えているのが新自由主義。日本政府の権力を常に削ごうと考えているのも新自由主義 朝鮮人、中国人など移民に利用されやすいのも新自由主義、グローバリズム 従って、新自由主義信者=安倍サポ=菅政権自民党=ネトウヨ=左翼の亜種 従って ネトウヨ は左翼の亜種。 新自由主義は、実は朝鮮人が多い、 移民に都合がよいのが、新自由主義。 日本人はすでに土地も家も日本国内に持っており、駅前の商店街にも既存の店を構えている。 ところが 朝鮮人は戦中戦後後から日本に暮らし始めたので、土地も持っておらず、駅前に店も持たない 日本の行政の規制撤廃運動して、規制を取っ払わなければ、商売が出来ない そこで登場するのが、新自由主義。 最近の有名な例は民泊事業、旅館業法の警察取り締まりが緩い事に目を付けて 違法な民泊が大量に営業された ついには、安倍政権を動かして、民泊業の法律まで作らせて、合法な民泊業を創り出してしまった。 この新自由主義的な政治活動の工作をしたのは、日本人よりも、中国人朝鮮人達だった。 彼らは選挙権を持ってないがネットなどで工作活動し続けた。 また既成事実化するために、違法なまま見切り発車で操業に踏み切った。 そもそも、日本人は既存の旅館業を営んでおり、民泊業に手を出す必要がない。 民泊に手を出したのは朝鮮人、中国人が多かった。 民泊業法成立合法化に熱心だったのは、実は中国人、朝鮮人(彼らは投資の為だけに日本に来ている。) そして その合法化するための経済上の理屈こそが、新自由主義だった。 「自力で生活できない人を政府が助ける必要はない」が約4割 1つは、日本では「自力で生活できない人を政府が助けてあげる必要はない」と考える人が世界中で最も多くなっ ている点である(出典:「What the World Thinks in 2007」The Pew Global Attitudes Project)。「助けてあげる必要はない」と答えた人 の割合は日本が38%で、世界中で断トツである。第2位はアメリカで28%。アメリカは毎年多数の移民が流入する多民族、多文化の国家 であり、自由と自己責任の原則を社会運営の基軸に置いている。この比率が高くなるのは自然なことだ。そのアメリカよりも、日本は10%も高いのである。 日米以外の国におけるこの値は、どこも8%〜10%くらいである。イギリスでもフランスでもドイツでも、中国でもインドでもブラジ ルでも同様で、洋の東西、南北を問わない。経済水準が高かろうが低かろうが、文化や宗教や政治体制がいかようであろうが、大きな差はない。 つまり“人”が社会を営む中で、自分の力だけでは生活することすらできない人を見捨てるべきではない、助けてあげなければならないと感じる 人が9割くらいいるのが“人間社会の相場”なのである。 http://business.nikkeibp.co.jp/article/manage/20111114/223822/?rt=nocnt 日本の伝統だからね 明治150年・あの時代から続く「通俗道徳の罠」を考える〜『生きづらい明治社会』を読んで https://news.yahoo.co.jp/byline/egawashoko/20181023-00101500/ 〈がんばって働き、倹約して貯蓄すれば、かならず経済的に成功をおさめることができる。 貧困におちいるのは、がんばっていないからだ。これが明治時代のメインストリームの価値観、「通俗道徳」でした〉 木下光生も注目 さて、木下氏の指摘に興味を持った私は、さっそく氏の書いた『貧困と自己責任の近世日本史』を購入。3800円もしたが買い求めた。 そうして一気に読み終えたのだが、「いやー、昔はひどかった」と今、声を大にして言いたい。 日本人が冷たいのって今に始まったことじゃなくて、ずーっと前から自己責任社会だったんだ、ということがよくわかる。 それだけではない。「自己責任バッシング」のディテールが、今のネットでのバッシングとほとんど変わらないのだ。 江戸時代の村人、藤右衛門とマツが田んぼのあぜ道とか神社の裏とかでコソコソ言ってたことが、今、ネットに書かれているだけの話なのである。 例えば大和国平群郡法隆寺村(現奈良県斑鳩町)ほか10カ村では、1837年(天保8年)、村から公的に「施し」を受けた者に対しての申し合わせが取り交わされている。 その内容は、村からタダで米を施された以上、受給者は衣服や履物、髪飾りといった「見た目」でも、常日頃から行動を慎むべき、というような内容で、成人男性に対しても「羽織、雪踏」という正装を禁じている。 期間は「一代限り」となっており、子や孫に受け継がれることはないようだが、一代と言えば「長ければおよそ20〜30年にもおよぶ行動規制」である。しかもこの時期は、飢饉によって社会全体が苦境に立たされていたそうだが、そんなことはおかまいなしに「村に迷惑をかけた者」は厳しい制裁の対象になっていたのである。 リーマンショックが起きた年の末に開催された年越し派遣村に、「自己責任」と言った人がいたのと同じ構図だ。 http://www.jimbunshoin.co.jp/smp/news/n27694.html それだけではない。 「実際に施行米をうけた世帯の構成員全員(子どもも含む)から署名と捺印をとりつけることで、誰が辱めをうけるべきなのか、村の公文書上でもはっきりとさせようとするものなのであった」 この大和国平群郡法隆寺村以上に「踏み込んだ制裁」を発動させたのが、1867年の河内国丹北部若林村(現大阪府松原市)である。 この時期は物価の高騰により、困窮に陥る人が多く出たようである。そんな人々に村は「温情」を与えるが、この温情が、厳しい制裁を伴っていたのである。 まず、困窮するのは「日頃から自助努力を怠ってきたせい」であるとし、施行を受けるかわりに、いろいろと決まりごとを作ってそれを5年間守るように通達した。 その内容は、「日笠をさすな」「雪踏を履くな」「絹織物を着るな」といった「小姑」を思わせるみみっちい服装禁制や、大酒を飲んだり物見遊山を禁じるものだった。それだけでない。 「施行受給者の名を、住民が日常的に集う村の髪結床、そして受給者各戸の軒先にわざわざ張り出して、誰が村に迷惑をかけたのかを白日の下に晒そうとした。 さらに受給者は、施行米の原資を提供した『施主人』(「高持一同」)の屋敷へうかがう際、門の手前から履き物を脱ぎ、極めて低姿勢で敷地内に「這い入る」ことが求められた」 なんかもう、これを考えついた人の底意地の悪さに脱帽である。 でも、昔話にはこういう意地悪なことばっか思いつく天才ってつきものだ。なんか「一休さん」とかにいなかったっけ、こういう人。ていうか一休さんて何時代? https://m.huffingtonpost.jp/karin-amamiya/self-responsibility-japanblog_a_23610072/?utm_hp_ref=jp-homepage しかし、これだけ屈辱的、差別的な扱いを受ける人々の姿は、「施しを受ける」ことをためらわせるには十分だったろう。よって、どれほど生活に困窮していても「タダで助けてもらうなんていたたまれない」「申し訳ない」という思いから、一家総出で夜逃げするケースなどもあったという。 施しを受けた人への制裁が、人々の自己責任論をより強化する。 ここまで読んで、現代とのあまりの符合に驚いた人も多いのではないだろうか。 生活保護受給者はそれらしくボロを着ていろ、無駄遣いをするな、酒を飲むな、パチンコをするな、ギャンブルをするな等々の声は、21世紀の日本にも溢れかえっている。生活保護受給者がパチンコなどをしていたら通報するようにと呼びかける自治体もあるし、監視を勧めるような条例がある自治体だってある。天保8年とかからもう200年近く経とうというのに、この国の価値観は「江戸時代の村人」から、ちっとも進化していないのだ。 著者はこのことについて、以下のように書く。 「『不実/我侭』な村人の救済度合いを低く見積もった1800年の大和国山之坊村の姿勢と、水際作戦で生活保護申請を認めず、結果として40代の姉妹二人を餓死させた2010〜12年の札幌市白石区福祉事務所の態度とは、異質なものではなく、同じ土俵上にある同質の問題だといえよう」 普段私は、男尊女卑的なことをおぬかしになる人などがいると「もう21世紀なんだし、いい加減昭和の忘れ物みたいな発想やめてよ」とか言ってるわけだが、自己責任に関しては、この国の人々の発想は江戸時代から進化していないのである。なんか新自由主義でグローバル化のもと、先進的な自分をアピールするために「それって自己責任じゃん?」とカッコつけてる人とかいるけど、お前のスタンス、そのまんま江戸時代の村人だよ? キビと大根作ることに人生捧げた天保の時代の藤右衛門と同じだよ? 別に藤右衛門は悪くないけど、せっかく教育受けた意味なくない? ちなみにこの本を読んでいると、江戸時代の村人の世帯収支などが詳しく詳しく出てくるので、なんかドキドキしてくる。 https://m.huffingtonpost.jp/karin-amamiya/self-responsibility-japanblog_a_23610072/?utm_hp_ref=jp-homepage そんな村人が芋や米やときひ(とうきび=とうもろこし)をどれくらい作ったか、エンゲル係数はどれくらいかも本書ではすべて割り出されているのだからすごい執念である。 そんなものたちを見ながら、200年後、今「自己責任」とか言い合ってるこの国の人たちは、未来の人にどう分析されるのだろうと思いを馳せた。それだけではない。200年後、片山さつき氏は政治家としてどういう評価を後世の人に受けるのだろう。 もうとっくに死んだ江戸時代の村人たちは、資料だけ見ていると「百姓」として働き、必死に生きたように思える。だけど、周りからはワガママと思われたり怠惰だと思われたりして意地悪されて、恨みを残しながら死んでいった人も多くいるだろう。 著者がこの本を書いたのは、自己責任社会への怒りからだという。路上ではなく、自宅で餓死者が出るような現代社会の異様な冷たさから、近世日本への分析が始まったのだ。 江戸時代から、今の日本を俯瞰できる一冊。ぜひ、多くの人に手にとってほしい。 雨宮処凛 作家 日本人の冷酷さは異常…人間社会の相場を逸脱した冷酷さに世界が震撼 [128781568] https://leia.5ch.net/test/read.cgi/poverty/1619995626/ 【天才】ホームレスの激増に悩むスイス、スイスに戻らないことを条件に好きな国への片道切符をホームレスに無料配布 [966616616] https://leia.5ch.net/test/read.cgi/poverty/1620099121/ 普通の日本人「シベリアンコントロール」 [511335184] https://leia.5ch.net/test/read.cgi/poverty/1620033459/ 日本人「わー、花火綺麗〜」中国人「ドローンを使った上海の夜景をご覧ください」→ジャップ卒倒 https://hayabusa9.5ch.net/test/read.cgi/news/1620121420/ ただ名前変えてガワだけ新しくごまかしてるだけ 今日27日の朝日新聞デジタル版に掲載された 『「自己責任」、明治近代化に源流 権力者に矛先向かない「通俗道徳」』という記事が勉強になりました。 平成の世相を映し出すキーワードの一つとも言える「自己責任論」が、 「どのように定着し、源流はどこにあるのか」について考察した記事でした。 この記事のなかで、印象的な記述は次のような箇所でした。少々長くなりますが、引用させていただきます。 『桜井さん(社会学者の桜井哲夫・東京経済大名誉教授)は、「責任」概念の欧米と日本との違いに注目する。 https://miy.oshi-s.ha.t.en.ab.log.com/entry/2018/12/27/210715 『自己責任のように一方だけが責任を負う論理にない。 「社会契約によって成立する近代国家では国が守ってくれないならば 国民が納税などの義務を果たす必要はなくなる。自己責任論は権力者の責任をあいまいにする」 長引いた景気低迷や新自由主義的な政策がもたらした貧困や格差拡大についても、 「努力が足りないからだ」という類いの自己責任論が強まった。 こうした現代の自己責任論と 近代化を進めた明治時代の「通俗道徳」という考え方の類似性を指摘するのは 「生きづらい明治社会」の著者の松沢裕作・慶応大准教授(日本近代史)だ。 「通俗道徳」は江戸時代後期に市場経済が広がり、人々の生活が不安定になるなか、 自己を律するために広まった。勤勉に働き、倹約して貯蓄する‥‥ 「頑張れば成功する」という規範だが、当人の努力の問題に帰せられる面があった。 病気にかかって貧しくなったり、懸命に働いても十分な収入が得られなかったりすると 「怠け者」とみなされ、経済的だけでなく、道徳的にも敗者とされる。 明治になると村単位で請け負っていた年貢から、個人単位で税金を納めるようになり、 助け合いの仕組みは崩れる。新政府に財政的な余裕はなく弱者保護まで手が回らない。 通俗道徳は政府に矛先が向かず自分で責任を背負い込んでくれる、 支配者にとって都合の良い思想だったという。』 う〜む、なるほど‥‥。「自己責任論」は、明治時代の「通俗道徳」にその源流があるのですね‥‥。 なお記事は「明治維新から150年がたった。「自己責任論」が日本社会にへばり付いたまま 平成はまもなく終わる。」という文章で締めくくられていました。 「努力すれば報われる」という価値観で育った私は ある意味、「自己責任論」的な考えに親和感を覚えるのですが、先が見通せない今の世の中 自分の責任ではどうすることもできない境遇に陥るのではないかという心配や不安があることも事実です。 個人の責めに帰すことができない事由で不幸にも困難な状況に直面した時 「最後は国が守ってくれる」と思えるような社会を、 この「日本という国」で実現することは、果たして可能なのでしょうか‥‥? https://miy.oshi-s.ha.t.en.ab.log.com/entry/2018/12/27/210715 1943年のアメリカ人「日本人には道徳の基準はない。ただ上のものに従うか従わないかの違いだけだ」 ○個人の幸福は問題でなく、苦痛こそ神聖。 ○週72時間低賃金で働き、たいていは40才で結核で死ぬ。※40才で結核で死ぬ、ここだけは改善できた。 ○西欧化されても、上には従い、下を支配した。 ○今日でも、日本人には道徳的善悪の基準は無いが、ただ、上の者に従うか、従わないかの違いがあるだけだ。 ○教育の目的は同じ考え方をする子供の大量生産。子供は教えられたことを丸暗記するだけ。 ○従順で均質な大衆を作る、政治宗教構造。 http://blog.livedoor.jp/googleyoutube/archives/51856578.html 日下公人 「下流は基本的にその日暮らしです。中流から見ると、モラルが無いとなる。 ただし上流から見ると、彼らは忠誠を尽くす人々です。 天皇や国王が大好きで、声を掛けてくれたら喜んで死ぬ。 そういう動物的なところがあります」 http://i.imgur.com/s1DJnvI.jpg スペインかぜにおける大日本帝国の対応 保阪 正康 「近代日本の予防対策」を一貫する「弱者切り捨て」 近代日本におけるコレラ、スペイン風邪、結核などの感染拡大を防ぐ対策やその特徴を見ていくと、さしあたり次のような点が指摘できます。 1.日本社会は長年にわたる鎖国を経ているため、外来の病に免疫ができていない。 2.ひとたびウイルスや病原菌が入ってくると爆発的に拡大する。 3.近代的な衛生思想の普及が遅れたが、行政が強圧的に政令によって命じた。 4.隔離、強制入院をまずは徹底して行う。 5.予防対策を中心にして法体系の確立を急ぐ。 6.政府予算は一定規模は割くが、個人レベルにまではなかなか及ばない。 こうした対策の背景には、常に軍事の側が「健兵」を要求していて、内務省の側もいわば「甲種合格(心身ともに兵士に向いている)」に値する青年層の育成という視点をもって予防対策に当たっていたことがあると言えます。 従って、弱者が切り捨てられるという傾向が、そもそも近代日本の予防対策にはあったのです。 コレラ、スペイン風邪、結核のような病と人類の戦いの歴史を見るにつけ、その原因や本質は不可視なのですが、結果は可視的であると言えます。 つまり防疫対策は、不可視の領域(ウイルスが原因であれば、その特性を正しく摑むとか、ワクチンや特効薬ができる可能性など)に対しては研究者や専門家以外は手が出せないことになりますが、 感染による具体的な被害という結果についての対応は、政府や折々の権力者がなしうることになります。 時の政府は、可視の部分にどういう手を打ったのかが、問われることになるのです。 明治初期のコレラ対策は、弱者切り捨てというマイナス面はありましたが、 西南戦争と同時期でありながら医療担当者(それが内務省衛生局となるのですが)は、必死に目配りしようとしていたことは認めなければならないでしょう。 原敬内閣にあっても、床次内相の衛生政策には、もとより医療環境が不十分な時代にもかかわらず、スペイン風邪や結核への対応は法的、社会的に懸命に抑えようとしていたことが窺えます。 https://gendai.ismedia.jp/articles/-/73096?page=3 米国バイデン政権が急速に社会主義思想と社会運動の影響を受けて、大きな政府志向へ方針転換することを受けて、日本政府、自民党も対応を迫られている。 日本でも新自由主義、資本主義による欠陥が明らかになっているので、米国同様、大規模に修正や変革ができるかどうか。重要な歴史的局面。 藤田孝典 NPO法人ほっとプラス 聖学院大学心理福祉学部客員准教授 バイデン大統領誕生を支えたように、欧米各国でZ世代など若手による社会主義、共産主義への支持が拡大している 資本主義で取り残された層の不満は強く、社会変革、社会改良を求める運動を後押ししている。 新型コロナ禍はさらに拍車をかける。 極東の島国はぼーっとしているが、世界の変化が早い 藤田孝典 NPO法人ほっとプラス 聖学院大学心理福祉学部客員准教授 >>1 小泉政権以降の新自由主義を改める言うのであれば、 小泉政権以前(2000年)とコロナ直前(2019年)の経済状況を一応 実質GDP: 約482兆→約560兆 インフレ率: -0.7%→0.5% 日経225: 14,000円台→23,000円台 就労者数 6446万→6724万 失業率 4.73%→2.36% (参考) 自殺者数 3.2万→2万 h 新自由主義者はただ悪いだけの絶対悪 善良な新自由主義者は死んでいる新自由主義者だけだ 生きている新自由主義者は極悪人の外道しかいない それではファシストやネトウヨは共産主義者と紙一重と言っているようなものだ。 共産主義と新自由主義は真逆じゃないか。新自由主義ネトウヨは共産主義と 紙一重と言われても平気なのw 新自由主義と共産主義は正反対に見えて一周まわって裏で行きついちゃうのかなw どちらも極限まで極めれば極めるほど地獄になり、緩めれば楽になるというボロクズ。 read.cgi ver 07.4.7 2024/03/31 Walang Kapalit ★ | Donguri System Team 5ちゃんねる