本作では劇伴だけでなく全4曲の主題歌もRADWIMPSが手がけており、新海は「音楽だけでなく、キャラクターの言葉やモノローグは洋次郎さんに任せてしまえばいいんだと思っていました」と明かす。
さらに「キャラクターに言わせたい気持ちってたくさんあるけど、伝わりにくいから詩のような言葉にする必要がある。
そこに関しては歌ってくれるだろうと思っていたし、もっと言うと(映画の)タイトルになる言葉も洋次郎さんの歌詞の中にあるんじゃないかと思っていた」と強い信頼を口にした。

一方の野田は「映画の音楽を作るという意識だったので、言葉の伴わない音楽を主眼に置いていました」と切り出し、「言葉が映画を邪魔してしまうんじゃないかと思いつつ、監督の意志を感じました。
だから『前前前世』とかは『攻め切ってやろう!』という思いにしていただけたので励みになりました」と述懐。
しかし「気持ちとしてはインストゥルメントの曲をやってるときのほうが楽しかったです」と正直に打ち明け、新海を笑わせる場面も。

制作中の話は続き、新海は「映画って瞬間が通り過ぎてしまう表現様式なんだなと。
すごく好きなフレーズと画で最高のエモーションを組み立てることができても、すぐにそのシーンは終わって次に進んでいかなければいけない。
美しい瞬間があったのに過ぎ去ってしまうことの繰り返しは、映画作りが終わってしまう切なさとも少し重なりました」と胸にあった思いを語る。
また観客から終盤の展開について「最初から決まっていたのか?」と質問が飛び出すと、新海は「奇跡が起きる映画を作りたいという思いがあったので、エンディング曲の『なんでもないや』の歌詞をいただいたとき、『いいんだ』という確信を持てました」と明かした。

最後に観客から、自身の望む表現と商業的な部分でのジレンマにまつわる質問が。
本作において、「大盛りで受け止めきれないくらいの映画にしたかった」と答える新海。
「だからボーカル曲も4曲あったり。音楽側にも過剰な要求がいっていたかもしれませんが……どうでしたか?」と野田に尋ねると、「この映画からあふれ出るようなものは(制作が始まった)2年前の時点で監督から伝わってきていました」と返ってくる。
また野田による「“あきらめなさ”は普通の人間ではない感じ。音楽も背景も人物も声も、ひょうひょうとしながらすべての部分においてあきらめない。
それが全部出ている映画だと思います」という賞賛に、新海は「あきらめないのは洋次郎さんも同じ。OKと言ってもやり続ける」と言い返す。
野田は「監督に触発されてしまいました。一緒に作っているんだという意識を持たせてくれたので余計に、監督がOKを出しても、その先に光が見えたらこっちも下がらずに行けました」と、新海から受けた刺激に感謝を示した。


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