後期クイーン的問題とかってくだらない。
第一の問題
「作中で探偵が最終的に提示した解決が、本当に真の解決かどうか作中では証明できないこと」
第二の問題
「作中で探偵が神であるかの様に振るまい、登場人物の運命を決定することについての是非」
もっともらしい名前がついてるけど、こんなんの問題でもなんでもないじゃん。
第一の問題は現実でもそうでしょ。作中に限らない。
法廷に出された証拠がすべてで後は存在しないなんて思ってる人いるの?
新情報が出て判決が覆され、冤罪が証明されることもある。
第二問題なんて、問題ですらないじゃん。こんなの問題視するほうがどうかしてるだろ。
ほとんどのミステリーは探偵が指摘した後、ちゃんと司法の裁きを受けてる。
探偵が神だなんて誰も言ってないだろ。
探偵の存在そのものが事件に与える影響というが、そんなの警察でも一緒でしょ。
警察の捜査から逃れるために、証拠を隠滅するために、殺人を起こすことだってある。 >>74
> ナレーターの発言を真実とみなすことによって小説は成り立ってる
そんなことはない
「信頼出来ない話者」ってのがある
信頼できない話者で有名なのは「偉大なるギャツビー」で
話者が自分も含まれる過去を回想する形の話
話者はその過去の回想の終盤で恋人にあなたもcarelessと批判されてる
振り返って読んでみると確かにcarelessで
話者となった現在でもそれは続いていると読める >>101
怪奇小説のヘンリー・ジェイムズ「ネジの回転」でも
起こった怪奇現象は全てが女家庭教師の性的不満によるヒステリー
他に目撃者がいないからという論文を書いた高名な文芸評論家がいる
これはかなり面白い議論を巻き起こした
当時の住み込み女家庭教師の社会学的な分析まで出てきたり
そういう意味では非常に有益な極論だった
いい作品、いい極論、いい受け手、全てあっての豊穣 >>307
作中の探偵が犯人を特定したと思ったら
>証拠が出揃ったように見えたのも犯人の仕業かもしれない
そのような事がありえないように
さらに調査、推理するのが作中の探偵の仕事ではないのか? >>370
作中の探偵には作者が読者に仕掛けたトリックなんて何の関係もない >>378
犯人が追求から逃れるために色々と細工するのは当たり前の話で
それを暴くのが作中の探偵の仕事
メタレベルとか全く関係のない話 >>466
文学は、作中人物でなくとも
> 正答への論理的基盤を原理的にもちえない
ものではないでしょうか?
それを追求したい人は小説家には向いてないと思います >>493
容疑者に対する警察、検察の仕事でもあるな
>>487の言うように 後期クイーン問題とか言ってる奴って、なにが問題か自分でもわかってないで言ってるバカなんだよ
>第一の問題
>「作中で探偵が最終的に提示した解決が、本当に真の解決かどうか作中では証明できないこと」
作中では証明できない の主語は誰なんだよ? ばッかじゃねーの?
> 第二の問題
>「作中で探偵が神であるかの様に振るまい、登場人物の運命を決定することについての是非」
これって、人道的に問題だ、の問題でしょ? この問題を解けって言う場合の問題じゃないじゃん。アホだがや。
いかにもヘリクツいうしか能の無いボケの言いそうな不毛なたわごとやな `本当に真の解決かどうか証明できない'って、どういうことって聞いてみたら
実はあの証拠は犯人の置いた偽証拠でしたって、作者が言うかもしれないから証明できないんだってよ!
バッカじゃねーの。そりゃ、作者が単に御都合主義の行き当たりばったりで書いてるってだけのことじゃ!アホだろ!
しかも、実はあの証拠は犯人の置いた偽証拠でしたって、作者が言うかもしれないから証明できないのは
ゲーデル不完全性定理の一例なんだってよ。ばかばかしい。
ヘリクツばっかり言ってるバカはホントにマヌケなことを言うよな。 8冊読んだ中でオランダ靴が一番酷かった
突っ込み所が多くて書くの面倒だけどひとつだけ言っとく
なんで第一の事件後まず最初にジャニーと同じ位の身長の人間をピックアップせんのかとw
推理の芸術で駄作扱いされてるらしいが納得だわ あと伏線だと思って解決編までずっと気にしてしまったことがあるから言っとくわ
冒頭でミンチェンがエラリーを自室に招くときなぜ遠回りした? >>500
ミステリーのロジックなんてそんなもんだよ
よくよく考えたらどれも穴だらけ
それをいかにもっともらしく書くかが作者の腕の見せ所
そして、オランダ靴は多くの人がもっともらしいと感じたから
名作扱いされているのだよ >>503
でも、それに気づかずに納得してしまう、あるいは気づいてもそれ以外の部分の
ロジックが面白いからまあいいやと流してしまえる人が多かったから
一定の評価を得たわけだ >>499
作者が言うかもしれないじゃなくて
単にその証拠が偽証拠ではないと論理的に証明できないってことだぞ
たとえば、現実世界では凶器に指紋が残っていたら有力な証拠になるけど
ミステリーの世界では指紋の偽造なんて普通にやっているから
それが犯人の用意した偽の証拠じゃないってどうやって証明するの?
って話だぞ オランダは最後にバレバレの話をドヤ顔で明かしてくるのも腹立つな 後期クイーンの第一問題って横溝正史が昭和27年のエッセイで既に
それこそ後期クイーンに限らず容疑者が複数出てくるタイプのミステリーでは
避けられない現象として書いてるね
動機もあり犯行可能な容疑者ABCDetcがいる作品で、最初は犯人がAという想定
で書いて、謎解きの場面で急にBかCに変えても読者にはわからない
その桎梏から逃れられてるのは、犯人が犯人である理由のみならず真犯人以外
は犯人ではないという状況を作るクリスティだけだと なかなか面白い議論ですね、仲間に入れてもらいますね、これから頼みますよ そもそもクイーン的問題って誰の発案ですか、出どころは何ですか クイーン限定なのは意味ありげですな、クリスティ的問題は成立しないかな