>>317
原理主義ではないが、『結論ありき』という言い方は私の好みから言えばちと違う。
ま、これは個人的意見の表明であると思って貰いたいんだが。
そうだな、適当に例題を考えて見るが、以下のような文章があったとしよう。
「車を走らせていると、前方に信号が灯っているのが見えた」

この場合、信号は青黄赤の3種類のうち、いずれかでなくてはならない。
結論ありきで進める際に、その結論にとって必要だからという理由で信号はオレンジ色
だったという文章を読んだ場合、萎えてしまう。
飛躍はあってもいいんだ、論理の飛躍でエンターテイメント性を導けるなら。
『重大事件に結びつける』という結論に結び付けるために、無理があればウゲッと感じる。

『結論ありき』で展開するにしても、いかにその『結論』を推論に推論を重ねた延長線上に
置くか、推論が妥当性を持っているかのように丸めこむ事ができるかというところに、腕の
見せどころがあると思う。

信号が見えた事にわざわざ言及するという事は、それまで信号がなかったという事である。
田舎の一本道だと感じる。きっと夜の事だろう、夜の田舎道なら信号までの距離は相当長い、
1キロ以上あるに違いない。信号で曲がるより、直進する方が可能性が高い。田舎の一本道
の信号なら、11時以降には黄色の点滅信号になると考えられるが、それに言及していないと
いう事は11時前だ、点滅信号は特殊だから必ず言及するはず。良く知った道ではないだろう、
初めて通った道である可能性が高い。

上記は、飛躍に飛躍を重ねていて論理として見るとトンデモ論理でしかないが、推論としては
推論に推論を重ねた延長線上に収まっていると、私は思うんだが。

ここで勝手に、白いワンピースを着た子供が道端に立ってニヤリと笑っていたとか、夜だから
人は通らないだろうと信号無視をして横断していたお婆さんを跳ねてしまった、のように勝手な
創作を挿入した記述を見たら、個人的にはウゲゲッと思う。

おそらく、君の言ってるのは勝手な創作を許容する事だと思うんだが。それは原理主義ウンヌン
ではなく、ゲームの種類が違うと思うな。