表紙には、親指と人差し指で〇をつくるイラストが描いてある
しかし、広隆寺弥勒菩薩像は、親指と「薬指」で〇を作っているし、作品中でもそう記述されている
明らかなイラストレーターの間違いだが、文藝春秋社はこんな間違いのままよく出版したものだな

タイトルの「弥勒の掌」は、西遊記の「釈迦の掌」のもじり、洒落なのだろうけど
西遊記では、「束縛から逃れたと思ったが逃れていなかった」という意味なので
この作品との関連性はあまり無い
編集者のセンスを感じないタイトルだ

巽昌章氏の解説がよくできている
著者の我孫子氏と、京都大学推理小説研究会で同級の法月綸太郎、4年上の綾辻行人を比較したところを抜粋する
「(我孫子氏の作品は)選ばれた趣向に適した作品世界が、ぴたぴたと手際よく割り当てられてゆく」
「つかみどころがない」
「綾辻の作品は、ノスタルジックな雰囲気と玩具めいた小道具の数々に飾られた趣味の小宇宙」
「法月の書くものは、意図的に採用された不調和をはらんでいて(中略)サスペンスの構成、ハードボイルドの語り口、本格の論理(中略)といった一見水と油のような要素が組み込まれている」

要するに、綾辻作品や法月作品には「特徴」があるということだ
綾辻は何を書いても綾辻だし、法月は何を書いても法月になる
だから読者も安心して、綾辻や法月のファンになれる
だが我孫子はそういった定型的な特徴を持たない
思いついたトリックに対して最適な構成や語り口を選んで書くことができる
その点は軟体動物のようで、とらえどころがない
器用なのだろうけど、作家としては損だと思う
読者というのは、作家の作品の特徴を「好きになる」ものだからだ

あと、死体があまりグロくないのが不満だ
死体が殺された無念の形相をしていることにより、読者は犯人を恨むことができるからだ
探偵に、犯人を捕まえてくれと願うことができるからだ
読者は正義になりたいのだ
ミステリに「穏やかな死に顔」など誰も望まないだろ