ちょっと出来ない事だとも思うんだけど
清張の小説、勿論傑作も多いし素晴らしいものが多いけど
さすがに文章がもう古臭くなってやしませんか?

さすがに50年以上経過してるものは現代用語にしては?

「ゼロの焦点」の一部をあげても
「−来てかがみ接吻した」
「−の吸い方は激しかった」
 「君の唇は柔らかいね まるでマシマロみたいだ。夫はそれを賞翫して言った」
などなど一部読んでても、とても読みにくく古臭い表現が出てきて
若い人が読んだ時、硬質な文体と伴って清張作品を読みにくくしてるような・・

漱石や谷崎の文章なども今は現代文字に置き換えられている
清張作品はまた翻訳とは異なるけれど、最近、村上春樹ではないけれど
「50年経てば表現は古くなって当たり前。現代に新訳されるべきも当たり前のこと」
と語り、クリスィー、フェッツジェラルド、チャンドラーなどは新訳されて発売されている

清張の素晴らしい作品の数々を若い世代にこれから残すためにも
若干文章の書き変えは必要な気がするのですが、やはりこれは小説への冒涜になるのかな

どうも周りには清張はドラマで見るのはいいが小説は難しすぎると言った人達がいたりするのですよね
稚拙な文章にするのではなく、どうも古臭い文体は変える方がとも思うのですかどうでしょう