>>276
>> 1960年代の訳で
> 違和感が無くて当り前だと思うが。

いや、そうでもないよ
ざっと計算してもわかるよう、1960年代には、まだ1800年代19世紀生まれの人たちがけっこう活躍していて、
そういった人たちには、手紙などの私信は候文と旧字旧仮名でやりとりしている人たちも多くいたらしい

明治の近代史に登場する平塚雷鳥など1971年まで生きて活動していたし、幸徳秋水と共に労働運動をして
いた荒畑寒村なども1981年まで生きていた

野上弥生子にいたっては、上の二人より年上の1885年生まれなのに、1985年99歳で亡くなるまで現役作家
として小説 『森』 を書いていた (ただし絶筆で未完)
14歳で九州から上京し女学校に通っているころ、新聞で勝海舟が亡くなったと知るのだから驚く

怪奇小説の翻訳で知られる平井呈一 『黒死荘殺人事件』 は、1963年の翻訳みたいだけど、カーミラなどの
名訳を期待して読んだら江戸弁がキツくてちょっと驚かされた (以下、上が平井訳、☆が南條・高沢訳)

   ひとつ掛け値のないトランプの勝負できめたらどうだと、一も二もなくわたしは手詰めの雪隠場におい
   つめられてしまった。

 ☆ 言葉に巧みに乗せられた私は、恨みっこなしのポーカー勝負をする羽目になっていた。

   髪の毛の赤い、見ばえのしない若僧が頭をなでたり、顔をベロンコしたりしていた姿が、何ともいいよう
   のない気味の悪い無言劇みたいだったことも、はっきり記憶にのこっている。

 ☆ 生気の乏しい赤毛の若者が髪を触ったり顔を撫でたりと、言いようのない不気味なパントマイムを演じ
   ていたことも覚えている。

   警部はおとなしくうなずいた。お嫁にいった晩という様子だった。

 ☆ 警部はうんうんと頷いた。忍耐強さのお手本のように。