京極夏彦 Part.89
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妖怪作家・京極夏彦を語るスレ
次スレは>>970。無理な場合は即申告のこと
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●大極宮(公式情報)
http://www.osawa-office.co.jp/
●お化け大学校
http://www.kwai.org/
前スレ
京極夏彦 Part.88
https://mevius.5ch.net/test/read.cgi/mystery/1495753563/
※コテハン荒らしは徹底放置・絶対に触れない事。
コテハン荒らしに構っているレスは全て荒らしの自演です。
釣られて反応しないようにしましょう。 >>313
寺燃やしたあいつは、禅を学びに来たのではなく、
明慧寺というお寺そのものが欲しくてやってきたのだから、
修行をあんまり真面目にやってないでしょう。
だから榎木津は「中身が空っぽ」と表現した。 絡新婦の理の三人の娼婦の一人は茜だったんだろうけど、茂浦に少し滞在してたのって無理がない?
あの辺の人が見かけたら織作茜に気付いちゃうんじゃない?
あと茜の父親は明かされてないよね? >>310
自己解決しますた。
>では、明慧寺というか、影の貫主の属していた宗派では、
>なぜそんな教義上のルールになっているのか?
宗派の分裂を防ぐためでしょう。
悟りを開いた坊主が二人いれば、明慧寺が二つに分裂する可能性が出てくる。
だから、悟りを開いた坊主が二人いれば、一方を撲殺し、
明慧寺には、悟りを開いた坊主が常に一人しかいないようにして、宗派の分裂を防ぐ。
これは、明慧寺が空海によって開基された伝統ある寺院でありながら、
今までまったく知られてなかった理由にもなっている。
明慧寺の中で行われていることは、外部の人間から見れば「殺人」だからね。
それから、犯人の仁秀さんに、悟りを開いた人間を殺すことに、
葛藤がまったくない理由にもなっている。
(彼は元々こういう世界に住んでいたので、抵抗感がまったくない ヒェツ) いろいろ考えてみると、明慧寺はもともと、
真言立川流よりも、はるかにヤバイ集団だったのだな、と思う。 魍魎の匣の
犯人の少女の動機は「魔が差したから」ですやん・・・ 円のようにカリスマブレイクしてくれるならともかくさ
ああも超然と「嫉妬なり」と言われてもああそうだったのとすんなり飲み込めないよね 本当はもっと殺された人いるんだろうな
かつての明慧寺 で最後の一人になっちゃったと >>333
何が自己解決だw妄想に妄想重ねて勝手に納得してるだけじゃねえか
大体、悟ったからって即分派に繋がるわけがないだろ
まず前提がおかしいわ
まあ作中の説明だけじゃ納得しがたいのは分かるな
犯人は普通に立派な人物だから、嫉妬に狂うってリアリティが全然ない
筆力や禅の蘊蓄で「そういう世界なんだ」って何となく誤魔化されるけど >>309
これは犯人の動機というより、中禅寺が想定した犯人の動機って言われた方がしっくりくる
でも明慧寺のルールじゃなくて、犯人の個人的なルールかな
今川を殺さなかったのは確かに謎。悟りが偽物って意見もあるけど
それをなぜ犯人が見切れたのか?って疑問と
そもそも今川の悟りは偽物なのか?って疑問が残る 雫は、物騒なもん海に捨てるんじゃない!というのが感想だった。 >そもそも今川の悟りは偽物なのか?って疑問が残る
本物だったら、骨董屋やめて坊主になると思う。 >>340
海洋汚染ダメ絶対!は比較的最近広まった概念だからね
檻は逆だと思ってる
普通なら立派な人物のはずがその一点に関してだけ箍が外れて狂う
それが宗教の世界のヤバさであのラストも悪に強きは善にもという諺を思い出させた
同時にあの寺が何重にも結界で仕切られた一般常識と一線を画す場であり
犯人も鈴も根っからあの異界の住人だった
それが寺と共に消えたあの結末に繋がったと思った
他の僧たちと違って放火したあの僧共々犯人らもまた現実の世界では生きる術も道もなかった
だからああなるしかなかった必然と呼べる結末だった お前の言う比較的最近てここ百年とかそういうレベル? なんか最近長文自己語りが目や鼻につくんだけど、>>301の「はしゃぎすぎ」っていうレスにスゲーつわもの感を感じる
ちょっと語って欲しい 長文自己語りは前からやぞ
前スレでは長文野郎とか言われて少しだけ揉めてたりしたからね
5chとしては可愛いレベルの揉め方だったけど あんなもん揉め事ですらない
短文煽りしか出来ないバカの独り善がりだろ
長文なんて論旨纏められない奴が多いんだから突っ込みどころも多い
そこを突かないで表面的な部分でしか攻撃出来ない奴の方がアホ
そもそも京極読んでるのに何でそんなに長文に過敏に反応するかね
5chに毒されすぎなんじゃねーの 作家京極夏彦の長文…面白い
便所の落書き長文…つまらない ほらな、可愛いレベルの揉め方としか言ってないのに
>>348
のこの反応、恐いだろ 昔の2chは煽り荒らしがたくさんいたからスルー能力ある大人も多かったけど、今はみんな子供っぽくなった 鉄鼠の漫画読んで、土間に置かれた了稔の死体が托雄に見付からなかったっての妙に納得した
あれじゃ背負子に隠れて見えませんやん 病室のど真ん中に死体が放置されていたにもかかわらず、誰も気がつかなかった!!
よりもはるかにマシ。 なにそのクソ設定
謎の超技術で人間を不死にしたり謎の超催眠術で操り人形にしたりする方がはるかにマシ >誰も気がつかなかった!!
榎木津や使用人の爺やは気づいたろ でも自分も目の前の机にあるリモコンをないないって探してたことあるからわかる >>358
心理的盲目ってブラウン神父の「見えない人」が有名だけど
基本一瞬、一時的な現象だから
実際にはすぐ「見えてる人」になっちゃうんだよね
あと全員が同時にそうなる事はまずないので、その差分で錯覚が解ける つきものおとしでお金もらってたか?
神社みたいなのがあるみたいだけどそのお賽銭か? ・古本屋
・憑き物落とし
・神主
いろいろやってるけど鍋を焦がしてトントンぐらい 関口くんの生活のほうが心配だわ
雪絵さんも働いてるんだっけ? まあ、別に物欲はなさそうだから、貧乏でも気にしてないんじゃないの?
神社とかうっぱらえば、そうとうの資産にはなるだろうけど、現金は持ってないと思うよ
京極堂がほしがるのは本ぐらいなもんだろうし、それは商売道具を勝手に読んでるだけだから、マイナスにはなってないんだろ >>364
たしか邪魅のあたりでパートに出始めたって書いてたような >>364
実はあの時代は作家の原稿料が高いんだよ
コンスタントに書いてれば印税じゃなく原稿料だけで家が建つ
関口は量産作家ではないけどカストリ誌の収入含めたら充分だと思う
雪絵が働きに出てるのは子供いなくて暇だからじゃないか
当時は近所の目も厳しいしな そういえばうしおそうじもちょっと絵がかける程度でかなりの原稿料もらって
マンガが引っ張りだこだって言ってたから出版関係は景気がよかったのかもなあ 中善寺は織作家や由良邸の貴重そうな蔵書の買い取りを任されてたりしてたから、
本屋としての収入は結構ありそう 関君の収入についての問題は
定期的に廃人期間があることだよな >>179
鵺が京極版「カーテン」なら、連続殺人を犯した関口を京極堂が殺害して逮捕されるという話では?
刑期を終えて、再び古本屋を開き、こち亀ワールドとニアミスすると。 >>371
関口君は、その廃人期間中に彼岸へ遊びに行って、
正気に戻ったときに、そこで見聞きしたことを小説にまとめているんだ。 はさみできっちゃった。ずっと話しかけてくるからあの子 まきっていう、あの奥さん、ずっと京極に迷惑かけているんだけど、知ってる? ごめんなさい。変なこと言ってしまいました。気にしないでくださいネ!わかる人だけ
分かってくれれば。 >>372
ネタにマジレス
容疑者か被害者ならわかるが犯人役は関口には荷が重い
連続殺人をこなせるだけのスタミナが関口にあるとは思えん
内に凶暴性を秘めつつ結局ヘタレるそれが愛すべき関口の個性(偏見) 結局、頭の中ではいろいろと妄想するけど、
それ以上は何もできないのが関口君だよw 本来簡単に向こう側行ける人だよね
魍魎のラストでは「自分は違う」みたいなこと言ってたけど
京極堂がいなかったらとっくに何かの事件の犯人か被害者でしょ
子供もいないし、姑獲鳥でも奥さんや家族の存在は全然ストッパーにならなかった 京極堂についてるどでかい付き物説
落としたら跡形もなくなる 「怪」に載ってる河童の二話目に小山田って刑事が出てきたけどルー=ガルーの小山田の血縁者かな?
それと第五福竜丸事件と核問題に対する敦子の意見が面白かった
マスカマダの鬱陶しさにも磨きがかかってた 京極堂はなんで関口くんの友達になってくれたんだろうな というか今回敦子が語り手だったけど
今新潮と怪、幽で連載してるシリーズって美由紀と敦子が主人公ってことでいいのかな? クロスオーバー最初は楽しんでたけど何故か近頃モヤってきたよ
多用しすぎっつうか京極ワールドどんだけ世間狭いのかと
全部同じ町内会で事件起こってる並みの手近さを感じる今日この頃 >>380
あの頃は鬱病を発症する前で、おまけに19か20くらいで若かった。 >>381
>本来簡単に向こう側行ける人だよね
関口が榎木津とともに向う側の世界に行って、大冒険wする話が読みたい。 戦前に帝国大学に通ってる身分だから関君って圧倒的にエリートだな 作中では一切触れられないが関口は生家もそれなりに余裕があった気がする
あの当時大学まで進学できたくらいだし
所属大学からの資金援助で粘菌の研究を行えたぐらいだから
研究者としてはそこそこ優秀でもあったんだろう >>390
おかん怖い
弟とうまくいってない
くらいしか情報ないよねあそこ >>382
科学かな?
京極堂がどうして霊魂を否定するのかよく分からん。
霊魂も現在の科学では解明できない存在、
もしくは現象と考えるべきだけど。 京極堂は霊魂自体を否定してないんだったっけ?
ただそれが肉体から離れて、地縛霊になって浮遊霊になったりするのを否定してるだけで
肉体にあるゴースト自体の存在は否定してなかった気がする 仁秀さん「百年修行しても、悟りを開くことができない。何故だ」
↓
臨済禅師「仏に逢うては仏を殺せ。祖に逢うては祖を殺せ。羅漢に逢うては羅漢を殺せ。
父母に逢うては父母を殺せ。親眷に逢うては親眷殺せ。始めて解脱を得ん。」
↓
仁秀さん「仏とか祖師とか羅漢とかを殺せば、悟りを得られるんやな」
↓
了稔さん「儂は昨日、豁然大悟した」
仁秀さん(悟りを開くチャンスや、ボコッ)
↓
仁秀さん、悟りを開いた坊主を三人ほど殺す。
↓
仁秀さん「拙僧が殺めたのである」
山下さん「悟りを開くために悟った人を殺した?何だろう、犯行動機が理解できない」 ある・ないとかいう低俗な次元では語ってないだけ
「死後の世界は生者のためのものだ」って言ってるでしょ
妖怪も怪異も、それが必要な人にだけ出現するって認識なんだよ
ただオカルトに科学を援用することだけ極端に嫌うな
科学もメカニズムとしては妖怪と変わらない
科学的に証明されない云々ってのは全く根拠にもならない
そんなものは近代的迷信だと斬って捨てている >>393
>霊魂も現在の科学では解明できない存在、
現代の科学では
「霊魂と呼称される大脳以外の自我認識機構の
肉体内における実在は証明されてない・よって存在していないと見るべき」が答えです 中禅寺が知らないだけで世の中に不思議なものがあるのかもしれない 昔ガキの使いのトークに「この世は不思議だらけやでがモットーの松本さんに質問です」っていう葉書が来てたけど、あれは京極堂のセリフのパロディだったんだろうな でも、ゴースト、フロイトのいうエス自体を否定してる科学者もいないでしょ
いまどきそんなバリバリの機械論的な科学者いるのかね
京極堂は、「幽霊は存在するよ。見れるし、触れるし、臭いもある。ただし実在はしない」みたいな言い方だったね
ちょっと存在と実在をどう区別するかの定義的な問題になりそうだけど
魍魎の箱のとき、機械で人間の身体を作る行為をなんか愚かな行為だと否定的に見てたから、生物は複雑な機械の集合体みたいな機械論的な生物観は持ってはいないと思う
機械と生物には大きな質的な差異があるみたいな語り口だった >>398
一番不思議なのは、関口君の頭の中身だよ。 「異世界にはいけるよ。チートスキルも習得できるし、ハーレムも作れるし、建国もできる。ただしなにも実在してない」
ってことだね >>403
異世界は少なくとも、ライトノベルの文章とかゲームのデータとしては存在している。
>>404
○○はない、というのは、いわゆる「悪魔の証明」で、証明が難しい。 >>400
「いや、幽霊はいるよ。見えるし、触れるし、声も聞こえるさ。しかし存在はしない。
だから科学では扱えない。でも科学で扱えないから、絵空事だ、存在しないという
のは間違っているよ。実際いるんだから」
幽霊に対しては姑獲鳥でこう言ってるな みんなよー覚えてるね
流石に小説引っ張り出して読み直してレスしてるんだよね? >>406
>「いや、幽霊はいるよ。見えるし、触れるし、声も聞こえるさ。しかし存在はしない。
>だから科学では扱えない。でも科学で扱えないから、絵空事だ、存在しないという
>のは間違っているよ。実際いるんだから」
京極堂及び京極夏彦らしいレトリックだが
「存在はしないが、見えるし触れるし声も聞こえる」幽霊って実は科学で扱えるんだよね
それには、幻覚とか幻聴とか言う名前があります >>409
そこだけ抜粋して揚げ足取ったつもりになられても困るね
そのセリフのもう少し前から読むと科学という概念を中禅寺がどう定義していて
なぜ科学では扱えないと言っているのかが解るよ 京極堂のいってることは一見詭弁のようにも聞こえるけど、ようするに、幽霊は自然科学的に存在ないしないけど、社会科学的には存在するということでしょう
幽霊は「観察」できないけど、「了解」できる
例えば、インクで書かれた日本語の文字は、自然科学的にはインクの沁みに過ぎない。外人にはなにが書いてあるのかチンプンカンプン。
しかし、日本語を理解できるものにはそれは文字となって読める。
だから文字は自然科学的には存在しない(観察できない。あくまでも、どこまでいってもインクの沁みに過ぎない)けど、社会科学的には存在する(了解できる)
幽霊も呪いも、それといっしょで、共通の言語や文化を持った人間の間では、社会科学的に出現するということでしょ
式神の式は数式の式
数式は自然科学的には存在しない(二つのりんごは存在しない。ただ一個のりんごが二つ並んでるだけ)けど、共同幻想としては存在するってやつでしょう
当時はマルクス主義的唯物論が猛威を振るっていて、いわゆる自然科学にあらずんば科学にあらずという自然科学万能の時代だった
将来的には、社会科学も、政治経済も宗教も芸術も全部自然科学(大脳生理学)で説明できると本気で考えている人が大勢いた
京極堂は自然科学で社会科学(幽霊や呪い)を説明しようとする行為を、カテゴリー錯誤であり、バカバカしいと笑ってたんでしょ
京極堂は共同幻想という言葉を使ってたけど、まあ、あの時代はまだ吉本隆明の共同幻想論発表前だから、あの時代の用語としては少しオーパーツだけど
まあ、京極堂が吉本より前から用語として使っていたと考えればそれでいいけど
憑き物を説明するには、共同体の共同幻想という概念を使って説明するのがいちばん簡単だからね
共同幻想と自己幻想の区別がつかなくなってる状態がいわゆる憑き物、シャーマン状態だから 戦後すぐだしそれこそ天皇周辺の言説とか
大東亜共栄圏とかの共同幻想論が解体された直後だし
吉本隆明以前に似た言説自体は産まれてたかもね オーパーツって言えば、京極堂の存在そのものがオーパーツだけどね
正確な年代はかかれてないけど、京極堂シリーズは戦後のおそらく1950年代前半でしょ
テレビもほとんどなく、お隣では朝鮮戦争とかやってた時代でしょ
もちろんネットなんかないし、紙の本だって貴重だった時代だ
ネッシーやUFOだってまことしやかに語られてたし、うさんくさいカストリ雑誌全盛で、未来は鉄腕アトムの時代になると信じられてた時代だ
あの時代にあそこまで社会科学的な知見と、理路整然とした理論分析を持ってる人間なんかいないよ
京極堂のいってるオカルト分析が社会科学的に認知、整理され始めたのは、もう少し後になってからでしょ
吉本の共同幻想論だって1968年なんだし、1970代ぐらいのポストモダンが生まれ始めたあたりの水準の話をしている 大入道、砂かけばばあ、一つ目小僧についてはいるだろう。故ジャイアント馬場さんなんか
時代によっては大入道として扱われても不思議じゃない。もっと大きい人もいるし。
ばばあは砂さえかけてくれば成立するし、一つ目の人も稀にうまれてくる。 京極堂が、肥田式強健術の創始者、肥田春充のことをどう思っているのか知りたいね。
伊豆の八幡野へ行けば、晩年の肥田春充に会えたはず。
会った上でなおかつ、「世の中に不思議なことなどない」と言い切れるかどうか。 >>409
>それには、幻覚とか幻聴とか言う名前があります
幽霊は幻覚、幻聴とも少しちがうでしょ
京極堂もいってたけど、いわゆる霊体験は「死んだ人に会いたいという脳のわがまま」が生み出すものだから
まずそういう強い欲求があって、幽霊を見るものだよ
幻覚、幻聴をなぜ幽霊と解釈したのか、その理由の方が重要だ
例えば太陽を見た後、目をそらして、目をつぶればまぶたの中に光の残像が見える
でも、それを見てまぶたのなかが光ってるとか、あるいは心霊体験だと思う人はいない
ただの残像現象だとわかっているからだ
ただの幻覚や幻聴なら、入眠幻覚やただの疲労状態、あるいは麻薬などの意識変容状態でも見るものだ
普段なら、疲れていたんだろうとか、薬のせいだろうと解釈するのに、どうしてそれを霊的なものと解釈し、喜んだりおびえたりするのか
心霊体験の本質は、「幻覚」という知覚の問題ではなく、死んだ人に会いたいとか、人を殺してしまった自責の念とか、あるいは単に怖いもの見たさの好奇心とか、そういう「幻想」性でしょう 死神が「俺は偉いし良心の呵責なぞ
無いから幽霊なんぞ見ても怖くないわ」と
豪語してたのに実際見たらビビり
散らしてたあたり幽霊に対する感情は完全に理屈で
制御できるタイプじゃないってのが根本に有りそう NHKの心霊番組でやってたんだけど、昔まだカメラが珍しかったころアメリカで、心霊写真屋というのが流行ってたらしい
ただの昔のしょぼい合成技術で、死んだ家族や友人の写真を使ってインチキ心霊写真を作るだけなんだけど、それで大ヒット
昔にもオカルト嫌いの大槻教授みたいな人がいて、その心霊写真屋は詐欺師として起訴されたらしい
でも、裁判に出廷してきた本来被害者である心霊写真屋のお客は、みんな、「いえ、あれは間違いなく本物の心霊写真です。この写真に写っているのは間違いなく私の息子の霊です」と証言したらしい
まあ、まだ迷信深い時代だから素朴に幽霊を信じていた人もいたのかもしれないけど、なによりも死んだ家族や友人が幽霊として自分たちを見守っていると信じたかったらしい
なかなか考えさせられる話で、例えば、嘘でもいいから、娘を失った親に、「娘さんは天国でいつもあなたを見守ってますよ」
あるいは、母を失った息子に「お母さんは守護霊となっていつもあなたといっしょにいますよ」といってくれた方が、遺族は救われる
悲しみにくれる遺族に、面と向かって「天国なんかないんだよ」「死んだ人間は、魂もなくなる」「守護霊なんているわけないだろ、バカバカしい」といったりはしない
もともと宗教はそういう遺族へのカウンセリング、上手な嘘として生まれたもの
京極堂も「宗教というのは死者のためではなく、生者の為にある」といっている
死者を思う遺族の気持ちがある限り、宗教はなくなったりはしない
それはまた自然科学とは別の問題なのだから 騙し屋だな
戦時中に国家神道で占領地を洗脳する方法論を学んだ事が生きてきたか >>420
むしろ血液型の性格診断とか未だに信じてるんだから、迷信深いほうでしょ >>416
典型的なオカルト、カルトじゃねーかw
まあネタで言ってるんだろうけど
不思議なことはないってのは、怪異や奇蹟は起きないって意味じゃない
何事にもそれが発生する文脈やメカニズムってものがある
それを時代によって神や妖怪で解釈したり、科学で解釈したりするだけ
構造がある限りそれを不思議とは(京極堂は)呼ばない >>383
血縁関係があるのかはわからんが河童の二回目に出てきた小山田刑事のモデルはASIOSの小山田浩史ってオカルト研究家の人らしいよ それに対して堂島大佐は「起源は簡単に忘却されるんだから
世の中は不思議なものだらけになるよ」的な警告をしてたりする
起源は忘却されて伝統の手法だけが取り残され不思議不思議だと皆が喚く時代が来ると 幽霊の話もいいですが、
みんなの京極の怪談絵本のお話も聞いてみたい
買った人いる?
ゴンゲさまとかすごい迫力だったよ 内容は言えないけど、子供が読んだらきっとお化けなんてみたくなる内容の、面白い怪談絵本だった。
四冊くらい買ったけど、子供はホラー好きだから、きっとはしゃいでお化けと会いたがる。
お化けというより、神様が騒ぐ姿が詳しく書かれていて、お化けみたいな感じがする
後半の、遠野物語のほうは。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています