>>187つづき
「悟りのようなもの」はこんな感じだよね。
「悟りのようなもの」は、昔の自分とのご対面だよね。
それは、赤ちゃんの感覚の再体験だよね。ってことまで話が進んだね。

ただ、このように言葉にすると、概念で理解しようとする大衆が、
話に食いつきやすくなるのだが、全て間違いだからね。
体験者は、同じ風景、同じ感覚を経験しているから、確固としたものです。

富士山に登って見える風景の感じ。空気感。匂い。これは表現者が違っても、
体験者は通じ合えるよね。概念理解では到達できません。これが哲学の限界でしょう。
哲学は本来、覚者の見え方を表現しているだけです。言ってることは同じです。
大きな違いは、覚者かそうでないか?それだけです。

これを読んでいる一般的理解者は、このあたりで覚者というものを特権化
してしまうが、覚者はすごいものではないですからね。
思い出している人と、そうでない人。ただそれだけです。

いったんまとめましたが、読むなといっても読んで、
一般的概念で理解したがる人もいるから、
ちょっと、バカ避け発言もしてあります。つづけます。