欅坂46 全国ツアー『真っ白なものは汚したくなる』を見て
すごいものを見てしまった。歴史的なライブだった。
いや、ライブなんて言葉で片付けられるものじゃない。「社会を巻き込んだ大掛かりな実験」。
そう表現するのが適当だと思う。少なくとも、私個人としては人生最大の衝撃を受けた。
今、心にはぽっかりと空いた穴だけが残っている。
私はアイドルのライブを見に行ったつもりだった。 (中略)
しかし、だ。
蓋を開けてみれば、好きなアイドルが目の前で喧嘩するわ、血まみれになるわ、銃で撃たれるわ・・・。
しかも、どういうわけかそれを見て興奮してしまっている自分もいる。
我々は、彼女たちに笑顔でいて欲しいのにも関わらず、どこか、そうではない彼女たちにも確かな刺激を受けている。
8月2日から始まった全国アリーナ・ツアー。
その最終日、8月30日のラストのラストに披露したダブルアンコールが、これまでこのグループがチラつかせてきた数々の違和感という名の伏線をすべて回収したかのようだった。
センター不在の「サイレントマジョリティー」も、本来ならば笑顔で踊るべき曲で見せる死んだ目も、物議を醸したロックフェスでの体調不良も、番組でひとり俯向く姿も、すべてがこの日のための壮大なフリだったのだ。
いや、本当のところはそうではないかもしれない。が、今年ずっと欅坂46を追い続けてきた身としては、”そうとしか思えない”と書くべきなのだろう。
実際のところ、それを公式に”そうでした”と明かすことは御法度だと思う。
他社主催のイベントまで絡んでいるし、なにより、時勢を考慮すれば非常にギリギリのラインまで振り切った演出をしている。
もとより、これがいわゆる劇団の仕業であれば問題ないのだろうが、未成年を含んだアイドルグループとなると話が変わってくる。
当の筆者は割とアナーキーな体質のため、心から存分に楽しんでいたのだが、人によっては居た堪れない気持ちになったことだろう。
そう、これは「社会を巻き込んだ大掛かりな実験」だったのだ・・・。
(中略)
- すべてをひっくり返したダブルアンコール -
そういうわけで、ライブ本編は非常に綺麗な、それはそれは美しいメッセージで幕を閉じた。
もはや何万人という規模の人間が足を運ぶグループである。
当然、そうした綺麗なテーマで通さなければいけないレベルまで、結成から2年程度で至ってしまったのだ。
キャプテン菅井友香はアンコールのMCで「綺麗事ばかり言ってると思われるかもしれませんが・・・」
という枕詞を添えた上で、これからもグループ全員で一人も欠けることなく坂道を登り続けたい云々、といった意味合いの宣言をしていた。
オーディエンスもそのスピーチに精一杯の拍手と歓声を送っていた。
ところが、すぐさまその言葉は美辞麗句と化す。
ダブルアンコールで平手がソロで「自分の棺」を歌い始める。
偽りだらけのショーウィンドウ
嫌いな顔が映ってる
本当の愛などあるものか
信じた奴が悪いんだ
…
この時、観客の脳裏には年明け頃からこれまで平手友梨奈が見せてきた数々の不穏な場面がフラッシュバックした。あの時見せたあの表情、あの仕草、あの言葉、すべてがこのパフォーマンスのために用意された伏線だったのではないかという恐怖にも似た興奮に襲われる。
点と点が線になり、この日のこの瞬間に繋がる大スペクタクルが頭の中で出来上がった。
そして問題の「不協和音」。重い足取りでメンバーがステージに現れ、粉をぶち撒け合い、ツアーTシャツを引き千切り、お互いを傷つけ合う。
挙げ句の果てには平手を銃で撃ち、血まみれに・・・。
ここで我々は、それまでのライブ本編の美しすぎる世界の裏側にある残酷な現実を突き付けられたのだ。
だが、事実、我々が最も熱狂したのもその瞬間であった。目を覆いたくなるようなその光景こそ、その場に居合わせたファンたちにとってのちのちの語り草となったシーンなのである。
「不協和音」の演出は、煌びやかな見世物の裏に潜む真実を描くと同時に、見ている我々の本性をも暴いてみせたのだ。