>>878
屋台はほとんど行った事がないくらいですよ

頻度でいうと、最近は2週間に一回くらいですかね。店なら月1程度かな
カップラーメン含めると、週に2,3,4回程度かな。最近だと
もっと多いときも来ると思うし、色々ですね

飯は困ってません(笑)

ラーメンの発想に至ったであろう経緯を、自分なりに話しておきます
まず自分の中では、ラーメンというものが最初から、明確にイメージとしてあったわけではないです
自分の考えを絵として思い浮かべたとき、最後に「なんかラーメンみたいだなあ」となっただけですよ

最近の自分は、理屈と気持ちの整理を、より明確にできてきてる気はしてます
それは昔の自分なんですね
大人の狡猾さみたいなのを、良いとは思わないまんまですが、子供の時の自分に持ち帰りたいようなイメージです
現実を一応受け入れるけど、現状がすべてなはずがないので、ならば少しでも自分の思う向上とかを目指したいので、元々の理想を貫いてた自分に帰りたいような
そんな話ですかね

考えることから始まりますよね
そこに、理屈を元にして、軸として、自分の考えが生まれてくる
自分なりの理屈を形成していきながら、一方でその理屈と世の中を、自分なりに照らし合わせながら、あらゆる考えがどんどん生まれてくるものだとか思ったりします

その理屈の軸こそ、たまたま麺だと思いました

でも最初は、ラーメン鉢もスープも全然意識してなかったので、麺も後付けなんです

まだ麺だとは思っていない段階で、次に、自分の事を考える際、器ってのを意識してました
考えは、やはり頭の中だけなので
それを体現する自分、この身体を器だと思えました

そんな器の精度も要るんですね
見栄え、振る舞い。物事のこなし方
それをやるのは器を通して、内から行動を考え、形にできるように、外側に向けて伝えていく

ただ、自分は固いなあと。硬いの方もですかね
そこらへんから、中身を支えるための器。しかも硬いなら、それはラーメン鉢なのかなあと、思い浮かびました

今日の考えを付け加えわりました。それはいつものとこに書きたいので、行ってきます