【俳句】プレバトのお題で一句詠みましょう 10
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
住人同士の批評は名無しである限りアマチュア同士の感想だと思い、感情的にならないようにしましょう
玄人を自負して批評される方はコテ(+トリップ)で特定されない程度で経歴や入賞歴をつける事をオススメします
お題をキャプチャーしてくださる方募集中です。 やはり益も傘も関係なし
五月雨や茶室に花の匂い立つ
田植え終える北の大地が待つ太陽
おもいではぽろぽろ遠い二重虹
https://www.youtube.com/watch?v=_5hUbu6iPGg 駅から旅北の大地?
梅雨明けや指名手配の顔に✖
なんだこりゃ・・・ お題「梅雨の駅」
最下位:30点
忘れ傘つぼみのままで始発待つ
始発待つ梅雨の最中の忘れ傘
4位:50点
梅雨晴れや下校はまだか傘の恋
持ち主を恋う梅雨晴れの傘一本
3位:52点
恋の梅雨よ帰途の2人に傘1つ
梅雨の帰途一つの傘に育つ恋
2位:70点
五月雨や床の間の花匂い立つ
五月雨や茶室に花の匂い立つ
1位:71点
田植終え北の大地も日ざし待つ
田植終える北の大地が待つ太陽
;上五の字余りを、下五の字余りがどっしり受ける
名人2段:昇格3段
おもひだはぽろぽろ遠い二重虹
添削なし
名人8段:昇格9段
梅雨明けや指名手配の顔に×
添削なし
次回「雨の路面」 梅雨の帰途一つの傘に三つ巴
;ぬくぬくと育てますかいな。w >>509
雨ではダメでしょ。
例えば、エアコンの効いた電車やバスから降りると、梅雨時期はもわーっと、じめっと鬱陶しいような湿気を
感じるでしょ。
その感覚を上手く表現出来てる句だと思うし、普通の読み手はそう読むよ。 >>524
おそらく、飛行機で帰国したときの句でしょうね。 >>531
ごめん。
亀遅しではつまらないから、
遅き亀を倒置させて使った。
小学生には分からなったかもね。w 分からなったみたいね。
これは、打ち損じ。
お恥ずかしい。 >>532
> >>531
> ごめん。
> 亀遅しではつまらないから、
> 遅き亀を倒置させて使った。
> 小学生には分からなったかもね。w
どこまで馬鹿なんだろう? 梅雨晴れにミニスカ恋し水たまり
ミニスカートって季語だっけ? >>532
>>>531
>ごめん。
>亀遅しではつまらないから、
>遅き亀を倒置させて使った。
>小学生には分からなったかもね。w
自分で自分の介錯してるww 指摘や意見はありがたいとけど、
他の句案を示してくれ。 他の案を示してくれ、って…w
示されるのが当たり前だと勘違いしてんのかな。 ものの見方には、いろいろ角度があって、
少し角度を変えれば、どんな意見や感想でも言える。
代わりの案を示してくれれば、それがどの程度の理解の上で
述べたものかわかりやすくなる。
まあ、コピペを繰り返して、馬鹿だ、と付け加えている奴は、
まず、己のおつむが弱いってことに気付いたもらわないと。w 分かりやすくなるから示してくれー!たのむー!とか正気かよ
甘えんな ありゃりゃ、
気付いたもらわないと。→ 気づいてもらわたいと。
普通は、ああ、打ち間違いですね。で済むが、
おつむの弱い奴は、誤字脱字の類と、理解の度合いの違いを区別できないだろうから、
一応訂正。 >>544
ちゃんと、己の句力の無さに向き合え。
世間の常套句に隠れて甘えるなw いかんなー。訂正した文章でまた打ち間違いとは。
我ながら。w お疲れ・・・
雨のちの路面に映る二重虹
夕立の石に残れる水の玉
水しぶき受けて路肩に夏薊 人混みのホーム無音にさみだるる
雨あがる胡瓜陽射しへ反り返る 梅雨の間の空の青いの当たり前上五ににだと散文ぽいね 当たり前だから何?w
当たり前のこと言うとだめー教信者が粘着しててキモい 要するにお前に言われなくたって
誰でも知ってるよってことだろ
さらに助詞の使い方が散文的
ダメな見本じゃん
カルチャースクールにでも1年位通ってれば
誰でもわかることだから どうせまた向日葵とか詠みやすいお題になれば賑わうでしょ 夏井先生、俳句ではやっていけない事は何一つないって番組でよく言うけど
あれやるなこれやるな、ああしなさいこうしなさいってばっかり言ってるよね
というか添削ってのはそういうもんなわけだけど、結局はやってはいけないこと沢山あるって事だよね >>562
それは私へのレスですか?
それだけでは自分のレスのどこが間違ってるのか分からないです >>563
無季にしろ季重なりにしろ三段切れにしろ中下の字余りにしろ
凡その言い方は
「失敗しやすいから無闇に手を出さないほうがいい」
だろ
そうした失敗してる句に対してどこが悪くてどうすれば良かったかを指摘してるのが添削だろ
成功してる句はきちんと認めてる訳だし
番組の中で
「俳句をやってる人間なら絶対にやらない」
って言ったのは最初の石田の
や〜かな
くらい?
君自身が「添削ってそう言うもん」て言ってるって事は
何をやってもいいんだから出された句を全て受け入れろとは思ってないって事だろ >>564
別に俺が向いてなくてもいいけど
梅雨の間に空のあをあり水たまり
これはないよ >>565
つまり何やってもいいけど評価されるとなると違うって事でしょうか? >>565
あ、やっぱもう分かりましたんでレス結構です
ありがとうございました >>566
たしかに正しいよ。それは認める。
ただし、カルチャーセンターではの話ね。 その時期のものしか詠んじゃだめなの?
俳句って
不自由
なんだね ダメじゃないけど
感じたこと言わんとすることはわかるけど
演出もまぁまぁだけど
それを俳句に落とし込もうとする時にズボラになってる。
あなただけにこうやって教えるけど、このスレの生半可な人たちの共通点。
なんでそこで怠けるのか理解不能なんだよね、毎回。
手始めにまず、何度も何度も口に出しながら、本当に「よみ」ながら詠んでみなよ。 >>573
>>576
釣られているようで、癪だけど。
”五月晴れは、新暦になって、意味や用法が変わりつつある季語なんだから、
所属する句会や自分の考えを素直にかけば?
小粒な奴らw。 一定の水準は超えているとは思いますが、
全句において、やや散文調かな。
せっかくの俳句だから、”切れ”を入れてみた。
雨のちの路面に映る二重虹
;雨上がり路面に映る二重虹
夕立の石に残れる水の玉
;夕立や石に残れる水の玉
水しぶき受けて路肩に夏薊
;水しぶき受ける路肩の夏薊
もうひとひねり
;夏薊しぶきを受ける路肩かな
人混みのホーム無音にさみだるる
;人混みのホームの無音さみだるる
雨あがる胡瓜陽射しへ反り返る
;梅雨晴間胡瓜陽射しへ反りにけり ふふ。
これも”正しいところに切れをいれてみなさい”
なんて言う釣りなのかもね。
小粒さんなら、下三つはどう切れを入れる? >>586
水しぶき受ける路肩の夏薊
捻る前の方がいい
捻ったのは語順がいまいちだし
路肩を詠嘆してどうする
そもそも水しぶきを受けたからなんだって話
静けさや混んだ駅舎を女梅雨
これはパクリっぽいな
犇めいた駅舎静やか梅雨さなか
とりあえずよくわかんない句は韻を踏んでごまかす
五月雨は雨そのものを指すのに対し
梅雨はその時期の雰囲気も表す
ここは梅雨を使いたい 俺はね
雨上がり日差し胡瓜へ反り返り
添削前の方がいい
添削後は漢字が多すぎる
字面が句の印象と合ってない
さらに動詞が多いので雨上がりと名詞にする
ただね…
反り返る雨後の胡瓜や
これで日差しが想像できない?
後は作者が何か五文字入れてくれればいい
ただね…
きゅうりが日差しの方に曲がった
この発想は掃いて捨てるほど陳腐
ちょっと捻ろうよ
詩も川も臍も胡瓜も曲りけり 橋關ホ
by大物 本日の当地方は、よく晴れている。
5月の晴れとは違った、少ししっとりとした上品な晴れというべきかw
旧暦の”五月晴れ”とはまさにこんな感じなのかと思う。 俳句歴十月十日ほど、赤ん坊ならそろそろオギャーといっても良いころ。
俳句の面白さはなにか、と問われれば、今なら
”背景に足場を移す気持ちよさ”と答える。
ズームインよりズームアウト、
視覚でズームインでも、心象においてはそのままズームアウト
場面の切り替えで生じる場面と場面との”隙間”。
意表を突かれた表現によって生じる不覚の心地よさ。(笑えるってだけではない)
面白さのツボは人それぞれで良いんだけど、
その違いやズレを認識していないとコミュニケーションとれないので、
一応、表明しといた。
by水たまり 数学を勉強するにはまず算数の足し算と引き算
これを覚えましょうね 吹き降りの雨や路肩の夏薊
女梅雨駅舎しづかに混み合へる
雨後の日へぐいと反りたる胡瓜かな >>591
勉強するのと、面白いと思うのとでは比べることではないけれど、
面白さに気付けば、勉強なんて意識しなくなるもんよ。
まあ、人は言葉をコミュニケーションどころか、
アイデンティティの礎にしているから、
(立場と違ったものいいをしたら、途端にアウトでしょ?)
そんな単純ではないけどね。勉強は大切です。 >>586
そうい訳で、レスありがとう。
池に蛙の飛び込む音が聞こえました。だから何ですか?とは、子規が言ったこと。
水しぶき受ける路肩の夏薊、では夏薊より、しぶきを受ける路肩の方にむしろ
実感があるので、焦点を変えてみた。それなら、夏薊でなくとも云々あるけれどね。
犇めいた駅舎静やか梅雨さなか
確かにこの場合、全体的な湿気による音の聞こえ方の違いが句意だと思うので、
梅雨を使うのは賛成。ただ、添削で、元句のフレーズを丸ごと変えるのはどうかとw
3番目の句は、確かに変。あとで気付いたけど、梅雨晴間、胡瓜の季重なり。
陳腐がなぜいけないかと言えば、自分にとっては、”背景に行けないから”
使い古した表現、発想というより、どれだけ作者自身に素直かで作句し、
鑑賞したい。
青空やキュウリ陽射しに反り返る >>593
三句とも上手いと思う。
これだけできるなら、上手いで終わらせずに
己のこれだと思う方向へ、挑戦的な表現をしてみてはいかが?
(他人のいいね、でなくても、自身の面白さへ) キュウリが反るのは主に肥料と水だと聞いたことがある
日の光で反るのは違和感がある >>600
なら、それを句にしたら?
雨上がり大地を吸いて太胡瓜 原句 人混みのホーム無音にさみだるる
添削 人混みのホームの無音さみだるる
原句の作者ですが発想が平凡で60点と思っている。
ただホームの後には切れがある。
人混みのホームとは本来ざわめいている。
しかし無音であるのは五月雨が音を吸い込むがごとく細く静かに降るからである。
という部分が眼目なので「ホームの無音」では言いたいことが違うなあ。
切れがなくて散文調とあったので、それは読む側の力不足。
雨あがる胡瓜陽射しへ反り返る
の>>598青空や の添削句は嫌いではないけれど胡瓜についた雨の雫が消えるのが問題。 >>604
どうも、添削したものです。w
といっても、一緒に考えませんか?程度のものなので悪しからずお考え下さい。
ちなみに、個人的には散文調、叙述的な句も嫌いじゃありません。
人混みのホーム(が)無音に(感じるように)さみだるる
の様に解釈しました。604さんの考えた句意とかわらないかと思います。
(”無音”と”ホーム”が意味でつながっている)
ホームで切れを入れた場合、解釈される句意は、
人混みのホーム(の騒音)、無音の五月雨と対比になるのでは? >>606
おいで
https://www.gendaihaiku.gr.jp/index.shtml
トップページからインターネット俳句会をクリック
ネット環境とメルアドだけで無料で参加できるから
20日までに三つ投句よ >>604
人混みのホームやさみだれて静か
でどう? >>506
ご丁寧にどうもです。
>といっても、一緒に考えませんか?程度のものなので悪しからずお考え下さい。
了承しました。
>ホームで切れを入れた場合、解釈される句意は、
>人混みのホーム(の騒音)、無音の五月雨と対比になるのでは?
さみだるるは連体形なので、さみだるる「こと」→「ことだなあ」と詠嘆し
膨らみや余韻があるので、その余韻は人が溢れるホーム全体に及びます。
対比というよりは最初に戻って句全体を修飾する気分です。
添削句は切れがさみだるるの前にしっかり切れすぎているように思いました。
とはいえ添削ありがとうございます。勉強になります。 すみません。>>606宛でした。
>>611
悪くないと思います。(というか自分は好きです)
句の真ん中の切れが好きなので。
こまかく言うなら内容(静かな雨)と強い切れの「や」は少し気になる。
「さみだれて」の「て」も少し鼻に付く。
この内容だったら、切れ字のない切れの句が合うような。(主観です)
「さみだるる」は使い勝手が良いので「さみだれて」より耳になじむように思います。 >>612
こちらこそ、勉強になります。
今回は特になりました。w
勉強したことをすべて書くと長くなりますが、
下二段活用のさみだるるは、はっきりと連体形なんですね。
さみだるるを”無音に”で修飾した意図も理解できました。
どちらかと言うと、下五にあることもあり、さみだるるを終止形として
みていました。(恥)
とはいえ、表現は常に新しいものをもとめるべき、ってことで、
現代では、名詞 + る で無理やり動詞らしく使うのもあり
だそうなので、
人混みのホームの無音さみだれる ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています