そもそも読みの出来ない選者である事のなにが悪いのか分からない。
要は、素人に採られる事も出来ない作品だった、って事だけだろ?
あやめのはさほど良くなかった、と言うのは同感だし、
読めない素人が良いと思える作品をかける作者の方が、これからの詩の普及に寄与できるんじゃね?
文極は随分前から文極としての機能と価値を失ってるよ
いまさら、ブランド持ち出して、優良だの佳作だの言うのは
馬鹿らしい事じゃね?
文極の賞は、なんの意味もないし