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詩人になろうぜ 2
0445名無しさん@お腹いっぱい。垢版2022/08/08(月) 07:50:26.96ID:WKvFZrM8
市場主義/共産主義のユートピアの幻想というのは、社会全体における
自己の寄与(contribution)と社会全体における自己の比重に適合した
自負(self-attribution)との間の均衡が、予め存在する理想状態として
到達され得ると信じ込むことにある。しかし、これは、円周率の
最終的な値が、近似計算の収束の結果として求められ得ると考える
のと同様の錯覚である。ユートピア的な快適さ、心地よさは、
苦痛をもたらす作用がやは(和)されることによってもたらされる
やすらぎ/《soulagement》の感覚であって、予め存在する
理想状態として到達された和が保たれることによって生じる
感覚ではない。
0446名無しさん@お腹いっぱい。垢版2022/08/08(月) 07:59:20.39ID:WKvFZrM8
>>443
>生きることにおいて自重を無にすることを志すというのは、裏返った形での、
自己の比重と適合しない自負("self-attribution") の肥大化である。<

円周率を近似の数値として表現する単位として1が無/"null and void"、
つまり、1=0となった収束した状態の円周率の値というのは、
存在し得ず、あたかもあらかじめそのような収束があり得るかのように
それを理想状態として追求することは、無意味である。
0447名無しさん@お腹いっぱい。垢版2022/08/08(月) 08:13:33.01ID:WKvFZrM8
Alive and Kicking Lyrics

You turn me on, you lift me up
And like the sweetest cup, I'd share with you
You lift me up, don't you ever stop, I'm here with you
Now it's all or nothing
'Cause you said you'll follow through
You follow me, and I,-I-I follow you
0448名無しさん@お腹いっぱい。垢版2022/08/08(月) 10:43:18.59ID:WKvFZrM8
>ユートピア的な快適さ、心地よさは、苦痛をもたらす作用が
やは(和)されることによってもたらされるやすらぎ/《soulagement》の感覚<

「やは(和)す」は、ドイツ語であれば、»weichen«に対応するものと考える
ことのできる日本語の古語である。岩波古語辞典では、「やは(和)す」の
「やは」は擬態語であるとされているが、私見では、「や・は・す」の
「は」もやはり、「〜ふ」という再帰表現の活用形であり、「や」は、
「や(遣)る」という表現が"to send away/over (to 〜)"という意味で
使われることからも分かるとおり、"away"/»weg«の様態をもたらす
働きを表現する。「〜す」は、"to let"に対応するように用いられるので、
「やは(和)す」全体としては、メタ言語的な記述として、
"let itself (be) away"に対応するような表現であると解釈することが
できる。
0449名無しさん@お腹いっぱい。垢版2022/08/08(月) 13:31:04.37ID:WKvFZrM8
言語表現と物象化の関係について考えるうえで、ルシファーを「のろ(呪)ひ」の
象徴と見做すなら、ゲーテがキリスト教神学の枠組みを借りて、
»der Gestalt der Materie«について述べていること(ゲーテ、『詩と真実
 第二部』、pp228-32)もとても参考になる。

>Und so ereignete sich das, was uns unter der Form des Abfalls der
Engel bezeichnet wird. Ein Teil derselben konzentrierte sich mit Luzifer,
der andere wendete sich wieder gegen seinen Ursprung. Aus dieser
Konzentration der ganzen Schöpfung, denn sie war von Luzifer
ausgegangen und mußte ihm folgen, entsprang nun alles das,
was wir unter der Gestalt der Materie gewahr werden, was wir uns
als schwer, fest und finster vorstellen, welches aber, indem es,
wenn auch nicht unmittelbar, doch durch Filiation vom göttlichen
Wesen herstammt, ebenso unbedingt mächtig und ewig ist als der
Vater und die Großeltern.<
Goethes Werke. Hamburger Ausgabe in 14 Bänden. Band 9,
Hamburg 1948 ff, S. 308-353.
0450名無しさん@お腹いっぱい。垢版2022/08/08(月) 13:35:03.63ID:WKvFZrM8
円周率の近似値を求めるとは、自己同一性としての等しさ、つまり、
周期性としての単位を「やは(和)す」ことである。
0451名無しさん@お腹いっぱい。垢版2022/08/08(月) 13:43:25.58ID:WKvFZrM8
>ここに、救済は永遠の昔から決定されているだけでなく、永遠に必然的な
ものと考えられている、いや、それどころか、救済は生成と存在のあらゆる
時を通じて、たえず新たに繰り返されなければならないということが、
容易に知られるのである。<
ゲーテ、『詩と真実 第二部』、p.231
0453名無しさん@お腹いっぱい。垢版2022/08/10(水) 13:08:13.40ID:+3qSDQik
>>449
ここに引用した論述の続きとして、p.231に
>神性みずからが、その覆いとしてすでに用意してあった人間の姿をとり<
という訳文がある。これに対応する原文は、
>die Gottheit selbst die Gestalt des Menschen annimmt,
die sie sich zu einer Hülle schon vorbereitet hatte<
である。私には、ここで訳者がなぜ»Hülle«に対して「覆い」という分かり
にくい訳語を当てたのか理解できない。ここで»Hülle«は、
»die Gestalt des Menschen«/「人の形象」なのだから明らかに
「からだ」だろう。「から(殻/骸)」が亡き骸/»die sterbliche Hülle«
を強くイメージさせて合わないというのであれば、「躯(からだ)」とすれば
よいだけではないかと思う。これは、別にドイツ語ができるか否かという
問題ではないのではないか。
0454名無しさん@お腹いっぱい。垢版2022/08/10(水) 23:44:39.31ID:qrulTECq
>>453はしやばぞふ」

>>453は なんでも きくところに よると
わかひ むすめ としごろの おなごの
おけつ ふりひく である らしひ
ぱひぱひ まにや である らしひ

かぜがかたりかけます
しやばひ しやばすぐる
はるのへあけあまつりの
まつりばやしをあとにして
0455名無しさん@お腹いっぱい。垢版2022/08/13(土) 14:52:47.00ID:KM80N4Lw
>>453が おもひを はせる とほいおくに
おけつと ぼひんで みたされた けふわこく
おけつ こつかに ぼひん きんぐだむ

にわきの こずへの ひばりのす には
ひなが けふも なひて いる
それでも >>453は ぱひぱひの ことばかり
0456名無しさん@お腹いっぱい。垢版2022/08/14(日) 10:41:09.25ID:k9Q2oRyw
言語表現の物象化と反物象化(活性化と言い換えてもよい)の関係について、
「相撲(すもう)」から考えてみることもできる。「相撲」も物象化された
言葉として、その表現としての意味が問はれなくなっているが、
「すもう」の古語は、「すまひ」であり、「すまひ」≒"settling down"、
つまり、「鎮/沈静化」を意味している。

「すまひ」のために「しこ」を踏むが、「しこ」は、語源的には、
「如(し)くはない」という表現で使われる「しく」という動詞の
活用形であると考えることができ、ドイツ語をメタ言語的な記述に
用いて説明するなら、「如(し)く」≒»gleichen«、
「敷(し)く」≒»ausgleichen«、「しこ」≒»ausgeglichen«
のような関係にある。
>ausgeglichen
ポケットプログレッシブ独和・和独辞典(独和の部)の解説
(→ausgleichen)[形](人が)性格〈気分〉の安定した;
安定した, むらのない, バランスのとれた; 〘スポーツ〙互角の.<

古事記に出てくる「あしはらのしこを(葦原色許男)」の「しこ」も
この「しこ」であり、「あしはら」は、周囲の一帯の広がりである
と理解することができるので、「あしはらのしこを」は、言い換えるなら、
周囲一帯の平定(「しこ」≒「平定された状態」)者であるが、「を」
は、この場合も、求めを表現する「〜を」と男性を表現する「を(雄)」
の掛詞だろう。
0457名無しさん@お腹いっぱい。垢版2022/08/14(日) 11:01:54.87ID:k9Q2oRyw
ここで、言語表現の物象化と反物象化(活性化と言い換えてもよい)の関係に
ついて考えるのに、「すまひ」の取組みが行はれる基礎の土台/"ground"
である土俵を思ひ浮かべてみるといい。基礎の土台である土俵は既に
「しこ」が実現された、つまり、「平定された」/»ausgeglichen« 状態で
そこにある。すると、相撲の取組みを観る人々にとっても、相撲をとる
力士にとっても、土俵が「平定されている」ことは当たり前の前提となり、
特に異変がない限り、そのことには「無関心」/»gleichgültig«となる。
これは、»gleich gelten lassen«という行為から、当初は働いていた
はずの感性を無視する「感性の麻痺」としての「無関心」/
»Gleichgültigkeit«への移行である。すると、「相撲」がそもそも、
「『すまひ』のための取り組み」として行はれていたこと自体が見失われる。
0458名無しさん@お腹いっぱい。垢版2022/08/14(日) 11:46:46.89ID:k9Q2oRyw
この感性の働きの麻痺が、言語表現の物象化である。したがって、解釈による
言語表現の反物象化/活性化は、ちょうどその逆のプロセスであると見ることが
できる。それは、「すまひの取り組み」が行われある基礎の土台/"ground"
である土俵を、既に「平定された」/「しこ」/»ausgeglichen«状態にある
ものとして前提とするのではなく、もたらされた効果として見ることである。
物象化が、»gleich gelten lassen«という行為から「感性の麻痺」としての
「無関心」/»Gleichgültigkeit«への移行であるとするなら、反物象化/活性化は、
「たと(喩)へ」/»Gleichnis«を介して、麻痺していた感性を再び働かせるように
することであり、実際に「しかじか」である(「如(し)く」/»gleichen«)かどうか
を「比べる」こと、»vergleichen«によって「た『しか』め」る感覚を
みづから(身つ柄/自ら)に取り戻すことだ。
0460名無しさん@お腹いっぱい。垢版2022/08/15(月) 08:16:24.53ID:qroRe1RJ
»ein spiegelgleiches Bild«としての「ひと(人)」

「人は神の似姿である」と言われるが、日本語において「かみ(神)」は、
「かがみ(鑑)」を意味する(和語の「かがみ」自体は、「光の像を観るもの」
を意味する)「鑒(Middle Chinese:/kˠamH/)」の流用であり、
「ひと(人)」は、「ひと(等)しい」、「ぴったり」、「ひたひた」
などと共通で、「比(Middle Chinese: /piɪX/)」と同根語であるとも
考えられる「匹(Middle Chinese: /pʰiɪt̚/)」の流用である。
0463名無しさん@お腹いっぱい。垢版2022/08/17(水) 23:23:23.74ID:l2r6SKU1
「かげ(≒光の像)」をうつしみることに「かがみ」があるのであって、
「かがみ」がまずあって、そこに「かげ(≒光の像)」がうつるのを
みるのではない。
0466名無しさん@お腹いっぱい。垢版2022/08/23(火) 09:22:07.69ID:W8XvBY8R
常日頃から絶えず《des gaucheries》を演出しようとしているのは誰か
《des gaucheries》を演出することによってどのような効果がもたらされるのか
0468名無しさん@お腹いっぱい。垢版2022/08/23(火) 20:03:08.37ID:W8XvBY8R
>あの人達は、正道を踏み外していると思う人を、誰彼となく自分の方へ
導きたくてたまらないのでございます。そうせずにいられない人達なので
ございます。何分にも自分達の行く道だけが正しいと真実思い込んでいる
のでございますから、別の道を歩む友達がやがて堕落し、それも永遠の
堕落に陥るのを平気で見ていられる筈はございません。また場合によっては
同じ人を、愛しながら同時に憎むこともできるに違いないのでございましょう。<

レッシング作、篠田英雄訳、『賢者ナータン』、p.194
0469名無しさん@お腹いっぱい。垢版2022/08/24(水) 16:43:57.56ID:z0Jc00yT
>>468ちょっとなにそれ?」

ちょっとなにそれ?
あなた本気で言ってるの?
どういうことですか?おかしいでしょ?
おかしいですよ、実際。なにその態度?
謝りなさいよ、謝ってくださいよ
0470トロッコ問題(倫理の授業)垢版2022/08/25(木) 09:23:39.32ID:PqoCXlXO
さて、曾婆訶理は、あらかじめこの結論を知っていたとしたら、
どのようにすることが最善だったのでしょう?

>曾婆訶理、吾が爲に大き功あれども、既に己が君を殺せし、これ義ならず。
然れどもその功を賽(むく)いぬは、信(まこと)無しと謂いつべし。
既にその信(まこと)を行はば、還りてその情(こころ)に惶(かしこ)けれ。
故、その功を報(むく)ゆれども、その正身を滅してむとおもほしき。<
『古事記』、岩波文庫、倉野憲司校注、p.171
0471名無しさん@お腹いっぱい。垢版2022/08/25(木) 13:44:47.45ID:MdjI1G1I
ゆるしませんよ
おとこのこです さびしくなったら はなしにきますね
いつか たぶん
それではまた おたよりします
ははうえさま
いっきゅう
0472名無しさん@お腹いっぱい。垢版2022/08/26(金) 15:49:33.74ID:8dP2rao2
お爺さんは山へ柴刈りに、お婆さんは川へ洗濯に
そして曾婆訶理はそば畑へそば刈りに行きました

さて、曾婆訶理はなぜそば刈りに?
正解者には一億万円あげるのら〜!
0474名無しさん@お腹いっぱい。垢版2022/08/27(土) 01:29:45.08ID:Cgo/JUDN
人は死ぬことができる。これは確かなこととして万人に認められている。
しかし、人を含めた生物の身体を構成する細胞が死ぬことができるか
どうかは定かではない、というより、人が死ぬというのと同じ
意味では、死ぬことはできないと考える方が正しい。
細胞は、破壊されることや腐敗することができ、それを構成する
分子が分解されることはできるが、死ぬことはできない。
0476名無しさん@お腹いっぱい。垢版2022/08/27(土) 08:53:56.95ID:Cgo/JUDN
みづから(身づ柄/自ら)が死ぬ(≒»die sterbliche Hülle«である)ことが
できるのを知っていることが、人(ひと)であることである。
0477名無しさん@お腹いっぱい。垢版2022/08/27(土) 09:05:55.43ID:Cgo/JUDN
人とされない他の生き物が「自殺する」と表現するとき、人はそれが
「擬人化」であることを意識している。それは通常、人は、他の生き物が、
「みづから(身づ柄/自ら)が死ぬ(≒»die sterbliche Hülle«である)ことが
できるのを知っている」とは、つまり、「人である」とはみなしていない
からである。
0478名無しさん@お腹いっぱい。垢版2022/08/27(土) 09:09:08.11ID:Cgo/JUDN
みづから(身づ柄/自ら)が死ぬ(≒»die sterbliche Hülle«である)ことが
できるのを知ることにより、人は人としてある。
0479名無しさん@お腹いっぱい。垢版2022/08/27(土) 13:22:06.08ID:Cgo/JUDN
誤:»die sterbliche Hülle«
正:»sterbliche Hülle«

定冠詞は、コピペに由来するもので、この場合、特に意図したものではない。
0480まけのまにまに垢版2022/08/28(日) 10:54:24.13ID:3nVHs9Bj
「ボランティア活動」をするとは、どのようなことか。
また、「ボランティア活動」の「経験」は、どのように人事的に評価されるのか。
0481名無しさん@お腹いっぱい。垢版2022/08/29(月) 03:00:28.82ID:byTQR1X5
ちんちん ぽんぽ ちんちんち ぽこぽこ
ぽんぽん ちんち ぽんぽんぽ ちんちん
>>480の ぽんぽん ぽんぽこ りん
ちんちん ぽこぽこ ちんぽこ りん
0482名無しさん@お腹いっぱい。垢版2022/09/07(水) 17:08:16.08ID:VqjnXnOQ
>>480の まどべで ひばりが たずねる
>>480さん だいじょうぶ ですか?」
>>480は こたへる 「ちゅうじょうぶ ちゅうじょうぶ」
ひばりが こたへる 「わたしは しょうじょうぶ」
>>480の まどべに あかねの ひがさす
0483時の運垢版2022/09/18(日) 10:39:07.40ID:i4HF8h+9
新城 幸也(あらしろ ゆきや)
生年月日 1984年9月22日(37歳)
所属 バーレーン・ヴィクトリアス
2022年
全日本自転車競技選手権大会個人ロードレースにて、2013年以来9年ぶりの優勝

マーク・カヴェンディッシュ
1985年5月21日(37歳)
所属 ドゥクーニンク・クイックステップ
(2021年にバーレーン・マクラーレンから移籍)
2022年
イギリス選手権 個人ロードレースで2013年以来9年振り2回目の優勝。
0484名無しさん@お腹いっぱい。垢版2022/10/03(月) 16:58:26.88ID:jT7xEY6B
ソクラテスの「産婆術」としての哲学について考えるときでも、
「み(身)ごも(籠)る」(「こもる」のは誰か)、「み(身)・どり・ご(子)」
(「う(生)ま・れる」とはどのようなことか)という日本語の表現法に
ついて意識することは、案外、大切ではないかと私は思う。
0485名無しさん@お腹いっぱい。垢版2022/10/03(月) 17:37:58.08ID:jT7xEY6B
「哲学史」、「思想史」、「哲学者研究」といった類ものは、大抵の場合、
制度によって暗黙裡に、「懐妊」を回避させるための「避妊薬」として
作用することを目的として処方される。
0486名無しさん@お腹いっぱい。垢版2022/11/04(金) 14:30:58.91ID:ZQmLpIhw
 
「ドント ウォーリー」(575歌)
 
テポドンドン北の国からノドンがドン
 
テポドンドン二本のサルは見てるだけ
 
ノドンがドンどこへ落ちたか知らぬバカ
 
by ネコドン
 
0487名無しさん@お腹いっぱい。垢版2022/11/05(土) 11:06:03.85ID:2AdAVTeI
「他者に寄生する」と言うと聞こえは悪いが、実のところ、
寄生も、共生も、分業による協力も他者の"neglect"の活用であり、
己が生きることは互いの"neglect"を活用しながら成立している。
0489名無しさん@お腹いっぱい。垢版2022/12/14(水) 11:04:16.21ID:dc6qJbJW
すもももももも~♪もももももももももも・・・
うわ~ももが止まらね~ももが~ももが~止まらね~
誰かももを止めろ~ももを止めてくれ~
0490名無しさん@お腹いっぱい。垢版2022/12/21(水) 15:57:33.56ID:zAnJF9fm
> 彼らはよく、社会に貢献したいと口にする。
> なんでも社会悪のネトウヨを自殺に追い込むことが、社会に貢献することなんだそうで。
> イジメや嫌がらせで社会に貢献できる教師や警官になるために、あえて帰化したんであって、祖国同胞を裏切ったわけではなく、心は●●人なんだそうだ。
> 
> 昔は帰化すると裏切り者と呼ばれたりしたが、祖国に国籍を残したまま帰化する方法が確立された現在では、社会に貢献するためにむしろ帰化することが推奨されている。
> 拳銃所持で前科のある生粋の反日家ですら、今では普通に帰化している。
> 
> ●●学会などはネトウヨ認定した日本人を盗撮して、痴漢の写真だと言ってばらまいている。
> それらの写真は、集団ストーカーに使用される。
> 彼らは集団ストーカーを、[地域で子供を守る安心安全パトロール]と称している。
0491名無しさん@お腹いっぱい。垢版2022/12/22(木) 17:54:36.55ID:islFEi3N
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