何かを見たり聞いたり食べたりするときに、
それについて本当に話したい相手がそばにいないと、
自分ひとりだと、対象について深く考えよう、理解しよう、
個々の対象を通して全体に通じる何かを発見しようっていう動機が
なかなか内から湧いてこない。
怠惰と言われればそれまでの話なんだけれども。

美味しいものを食べても、食べているはずなのに、
今一つ美味しさが身にしみていかないというか。
美味しさが喜びにまで至らないというか。

好きな人といるというのは、だから、見たものをただ見たという以上に理解することだったり、
食べたものの美味しさが美味しい以上の喜びや幸せになることだったり、
世界が縦方向にも横方向にも広がることなんだろうな、って思う。

世界を広げたいから好きな人といたいというのではないんだけど(それは因果関係?順序?が逆だなと)、
好きな人といたら世界が広がるだろうなあ、毎日毎分毎秒わくわく出来るんだろうなあ、と思う。

一方で、好きな人となら、なんにもしないでただひたすらいちゃいちゃべたべたくっついている、
はたからみたら生産性もへったくれもない閉じた世界にこもっても満ち足りるんだろうなあと思う。

世界を広げる行為もむしろ閉じこもるような行為も何でも肯定的に捉えられそう。