>>967
あなたはその短い言葉の中で、おれにとって非常に重要な問題を語られました。
お顔さんの暗におっしゃっている問題は非常に難しい問題です。
他の人もそうならば、とお考えですよね?

しかし思いやりが常識として押し付けられたり義務になった瞬間、それは思いやりの本来の性質を失う気がするので。
たとえばカントは、自分の感性的な好き嫌いから離れた義務の遂行こそが道徳的であると言いましたが、
おれは、個人の感性に属さない道徳律などそもそも人間には存在するのだろうか、と思います。

この世には、特に心理学的・人文学的なものは、互いに相反する二つの命題――背理によって互いの正しさが証明され成立するのではない命題はほとんどないと思います。
たとえば、環境に属するが、環境にすべてを帰せるわけではないところが人間の恐ろしいところでもあり、素晴らしいところだとは思いませんか。
だからおれは、人生の前半においては、人間の問題はすべては結局は意思の問題で選択なのだと思いますね。
そしてその前半生がなければ、運命の懐に帰っていく後半生もない。

つまり価値観を共有できないとすれば、それは、人生において選択をしなかった人々とです。
でも、おれにとっては、そういう人々を責めることは無意味だし、おれの価値観的にしてはいけないことだと思いますね。