人間って感化次第でどんな人間にもなり得る危惧を孕んでいます。

環境次第で野蛮にも生きれるのは、野蛮だった時代が余りにも長かったから。
狩猟採集社会は数百万年あったらしく、狩猟や戦いが仕事だった男は、目で感じ易い生き物になりました。
現代でもその名残となっているのは、男は狩猟はしないもののエロい格好に弱いが為に、現代ではエロDVD屋さんが商売として成立してしまったりしている訳です(笑)。
コレはホンマらしい。

しかし元来釈迦が拡散したかった思想は…
人間それだけじゃないじゃん?という事なんですよね。
人間の良い部分を引き出し、全人類がもっと人間らしく幸福を創造する事が当たり前に出来る様になれればもっと素晴らしくないかい?
というベクトルを示して、人間のあるべきガイドラインをロジックで残したんですよね。
2500年前に。

ところがバカルトのバカは未だに、妬みや嫉みばかりが無駄に強くて、サイコとつるんでマジ基地コンボを繰り返し、下衆の極みを晒してばかり。彼らはロジックで認知出来ていません。
ヤツらなりに頑張って醜態を晒す下衆の極み劇場を繰り返す?何の意味があり、何のつもりなんですかね?…バカさ加減が何の自慢になりますかね(笑)?シネばいいと思うの。