>>747
因みに釈迦の晩年は自らも予期していたらしく、実際は旅先で食あたりで亡くなっています。

そりゃ釈迦も死にたくは無かったでしょう。
そんな釈迦が言った言葉の中に、『人生は苦である』があります。
感性の高い人には、そういった運命的な悲観が既にあるんです。
そう感じてしまう人の主観は得てして、共感力の高い高度な主観なんですがね。
人間が想像力や理智を獲得出来る脳機能を得て、それに比例して確かに傷つきやすくもなりましたが、そういう人は理智によって不安を打開するしか無いんですよ。

確かに釈迦はそれを受け入れ、向き合いながら生きた生涯だったのですが、やはり利己的なヤツとは尽く合わなかったわけでして、提婆達多のバカタレを破門しています。

種が違うので、共に生きれない運命なんですよね。アッサリ決別すべきですね。自己愛とは。サイコは論外。

ねぇ?手乗りチャン?人間が同種に見れない自覚はあるもんね(笑)?
何故下界に帰らねぇんだか?この餓鬼!