>>191
ああ、北海道は特にそうですね、徳川の権威の源も朝廷から授かった征夷大将軍の称号ですものね。
その称号を授ける側だった皇族をさかのぼっても、、
日本神話に出てくる神武天皇東征も、多くの血を流して夷狄を武力で平定し、植民地支配をいきわたらせるもの、
と解釈して外れないと私などは思うのですが、右派の人などにこういうことを言うと非常な剣幕で叱られます。


>>190
多分その「政治的」という言葉も人によっていろんな含意がありますよね。
ですが大別して、流行りものとしての時事ネタを扱っているということと、
きちんとしたインフラを統治する人々にいきわたらせ社会を社会として成立させているスープラまで、深いレベルまで視点を掘り下げているという意味でしょう。
それと、第三には、広い意味での人間の社会的活動、あるいはその習慣・習俗。

個人的な考えでは、文学が純粋に文学であるためには前者における政治性ではなく後者ふたつの意味における政治性を追求すべきです。
というのは結局前者ばかりを追えば外面的な描写に終始して自分自身の心を通じた描写は無視されがちになるから。
自分自身の心を通じて世界と対決できないのでは心理を心情描写として深堀りできないので、近代文学としては失敗作になる。

で、>>182さんの言っているポリシーというのは多分第二の意味のもの、「社会の同じ釜の飯を食う他者」と共有されることが前提のはずのもの、という、広い意味での「政治性」と結ばれている。
なのに、そのポリシーが「社会の同じ釜の飯を食う他者」の批判を受け付けない、他人に対して閉じられているのでは本末転倒だ、ということでしょう。